演目:杉本文楽 曾根崎心中 付り観音廻り
公演日:2014年3月29日
会場:フェスティバルホール

杉本博司 構成・演出・美術・映像
鶴澤清治 作曲・演出

学校で文楽を観たか、幼い頃に文楽好きだった祖父(文楽狂と言っていいかもしれない。何しろ祖父の家には文楽人形があった。)に連れていってもらったか。でもほとんど記憶はなく、今回が初めてと言っていいほどの文楽の観劇。

NHKが次世代ハイビジョンの8Kというフォーマットでの、コンテンツ制作のため今回の公演を収録するという。その為に特別公演が本公演の間に挟まれ、それを観劇する機会が巡ってきた。幕間にサウンドチェックやカメラテストが入り、本公演とは少し違った雰囲気だったと思われるけれど、それでも十分にその魅力を体感した。

ただ、文楽に対する知識が無さ過ぎて、よく分からない場面も多くあったので、帰ってから色々調べた事をここに書いておこう。

文楽(ぶんらく)は、本来操り人形浄瑠璃専門の劇場の名である。しかし、現在、文楽といえば一般に日本の伝統芸能である人形劇の人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)を指す代名詞である。

三業:文楽は男性によって演じられる。太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ三位一体の演芸である。客席の上手側に張りだした演奏用の場所を「床」と呼び、回転式の盆に乗って現れた太夫と三味線弾きが、ここで浄瑠璃を演奏する。対して人形のことを「手摺」と呼ぶが、これは人形遣いの腰から下が隠れる板のことを手摺ということから。

太夫:浄瑠璃語りのこと。1人で物語を語るのが基本で、情景描写から始まり多くの登場人物を語り分けるが、長い作品では途中で別の太夫と交代して務める。掛け合いの場合には複数が並ぶ。浄瑠璃には多くの種別があるが、文楽では義太夫節が用いられる。

なお、太夫名(芸名)の場合、かつては「太夫」と表記していたが、1953年に因会、翌年に三和会が変更して、以後は「大夫」と表記するようになった。また、「若大夫」のように「太夫」「大夫」の前が2拍の場合は「たゆう」、「義太夫」「越路大夫」のように2拍以外の場合は「だゆう」と読む。

三味線:太棹の三味線を使う。座り方は正座であるが、膝を広めに座り両足の間に完全に尻を落としている。響きが重いことから「ふと」(⇔細棹は「ほそ」)ともいう。

人形遣い:古くは1つの人形を1人の人形遣いが操っていたが、1734年に『芦屋道満大内鑑』で三人遣いが考案され、現在では3人で操るのが普通である。主遣い(おもづかい)が首と右手、左遣いが左手、足遣いが脚を操作する。「頭」と呼ばれる主遣いの合図によって呼吸を合わせている。黒衣姿だが、重要な場面では主遣いは顔をさらすこともあり「出遣い」と呼ばれる。左・足遣いは顔を隠している。
(wikipedia より)

今回の杉本文楽では、演出が杉本博司で上記の古典的なものとは幾分違うところもあった。

幕が幾つかに分かれて構成されていて、それぞれの幕が始まる際に拍子木が打ち鳴らされていた。とても良い音がする。調べてみると、片側が山形のカーブになっていて、そのカーブ面同士を打ち合わせてカーンと音を鳴らすらしい。

そうそう、それと、幕が始まる前に一人「床」の脇に出て来て、太夫、三味線弾きを紹介するのだけれど、その際に「と~ざい~、と~ざい~」と言って出入りしていて、それがえらく美しく見えた。その「と~ざい~」って何だろうと思って調べてみた。東西声というんですね。灰色の黒衣姿だったのだけど、あれは杉本博司の演出なのだろうか。

東西声(とうざいごえ)は歌舞伎や人形浄瑠璃の序びらき、口上の前などに「東西、東西」と裏から声を掛けること。またその声。開始の合図である。

明確な起源は不明だが、すでに江戸時代中期には各種の興行ものにおいて用いられていた。

劇場は通常南に向かって建てられているため、「東西」は客席の端から端までの客に対する呼びかけである。口上につきものの「隅から隅まで」とほぼ同義であると考えてよい。

「とざい」という短い発声と「とーざい」という長い発声を数度ずつ繰返して行うが、その型には幾つかの種類がある。ただし最後は必ず「とーざい」によって締めくくられ、その発声の尻は下がることを忌む(劇場の不入りに通ずるとする俗信)。

一説には江戸時代の大坂、道頓堀の芝居小屋に由来するという説がある。 大坂、特に船場、島之内、天満地区は知ってのとおり、南北が「筋」、東西が「通り」と呼称されている。(島之内に例外) そして道頓堀の五座は全て、東西の「通り」に面しており、客の呼び込みにこの言葉が使用された。「とざい、とーざい」で「道頓堀すべてを見渡して」という意味になる。
(wikipedia より)

さて、本題の杉本文楽 曾根崎心中。この公演は昨年の秋にヨーロッパツアーも行われていて、フランス公演では翌日の大手新聞の一面を飾ったとか、とても好評だったらしい。いわば凱旋公演なんですね。この曾根崎心中というのは、近松門左衛門の原文どおりにやると、かなり長い時間を要するために現在の文楽公演では一部分が割愛されて、上演されているらしい。それが、今回は序章としての「観音廻り」が約300年ぶりに復活とある。まず、プロローグというか、前奏曲のような感じで、舞台中央での三味線の演奏から始まった。鶴澤清治さんの独演が、なかなかの迫力で、杉本さん曰く、ジミヘンのギターソロみたいなのをイメージしたらしい。そして、暗闇からボーっと主人公のお初が現れ「観音廻り」が始まる。バックには映像作家束芋の映像が映されている。ただここの場面での言葉がほとんど分からず、全くと言って良いほど理解ができず。

そもそも、観音信仰とは何か、観音廻りとは何かが分からない。観音信仰って現世の苦しみも観音菩薩に祈って死ねば、来世では救われるというような信仰なのかな。

「おそらく江戸初期には、観音廻りの33箇所というのは、いまの人たちがディズニーランドに行くような感覚だったのではないかと思います(笑)。苦行を簡略化し、1日で 33箇所巡ればご利益がある、というようなエンターテインメント性があり、ブームになった。お寺の名前を聞けば、当時の大阪の人たちは、ああ、あの観音様だな、と具体的にイメー ジできた。でも300年以上経った現代では、みんな名前を聞いても何のことか分からないから、演劇的な緊張感を保つのことが難しい、ということだと思うんです。33箇所 すべて名前が出てきますが、退屈になってしまう。そこをどのようにして、演劇的な舞台空間として、緊張を持続できるようにするかというのが、 今回のひとつの大きな挑戦です。

そのために舞台装置も、文楽の書割から完全に離れて、抽象化された、映像も多用した舞台にしようと考え、実際に33箇所を巡ってきました。場所は移ってしまったところもありますが、33箇所のうち24箇所が現存しています。道標だけが立っている所もある。それを映像で、闇のなかでスク リーンに ぼうっと映し出して、それに向かってお初がお祈りをしながら道行を行く、という設定にしています。

元禄時代の初演時には、お初を辰松八郎兵衛という人が一人遣いの人形でつとめ、人気を博したと聞き、その一人遣いの人形も復活させようと、いま新しくつくっています。辰松八郎兵衛は、手品師的で、いろいろな演出をして、観客を飽きさせないための小道具や仕掛けにすごく凝っていたそうです。ただ、その記録があまり残っていないので、いろいろ想像しながら、仕掛けをつくっていこうと考えています。伝統とは、固定化されて、絶対に変えてはいけないものではないと思うんです。指は10本 あるから、全部使えば10通りの動きができるはず(笑)。いままでの文楽の舞台と違うことをするけれど、実は近松時代の原曲に近づけていて、それが逆にいちばん新しいことだというのがおもしろい。二重否定のようで、それが現代的であると思うんです。」
(FIGARO.jp より)

なるほどね。現代とは大分信仰のありようが違う。死生観が全く違うんだろうと思う。現代は何故これほどまでに死を忌み嫌うようになってしまったんだろうか。おそらく杉本さんはこのあたりを、古典の復活とともに、観客に提示したかったんだろうと思う。

印象的だったシーン。生玉社の段で徳兵衛が九平次から裏切られ、最後に一人歩いて去って行くシーン。文楽劇場ではありえない、奥行きのある舞台が十分に生かされていた。中央の鳥居をくぐり薄いスポットの光の中で、舞台奥へと消えていく姿は、鳥居を境に浮世から来世へと移り行く姿の様に見えた。舞台全体が黒色で人形遣いも黒衣姿のため、人形のみが光に浮かび上がり、その中空を歩く姿が正に浮世離れしていた。

他の段の舞台セットも随分杉本さんの色が濃かった。天満屋の段のセット。舞台中央に組まれた天満屋の座敷なんか、黒一色の舞台に白い木の地が横一線にすっと走っていて、まさに「海景」シリーズの構図、そのまんまだったな。そう思うと杉本のさんの表現したい事って、写真作品でも文楽でもフォーマットが違うだけで、根本的には一緒なんだろうと思う。

そういえば、近松門左衛門はこんな事を書いている。

芸術とは現実と非現実のわずかの間にあるもの、、、、それは非現実ではあるが、非現実ではなく、現実ではあるが、現実ではない。

正に今回の公演はこの感じが凄く出ていたのではないか。様式美をとことん極めて、物語をどんどんと抽象的な表現にしていくと、何か人の奥に潜む真理みたいなものがふっと顔出す瞬間がある。それが杉本博司の表現の魅力なのかな。普段の文楽公演で行われる、曾根崎心中も観てみたい。