このレビューは、Contemporary Art Magazine this is tomorrow に掲載された、Dominika Mackiewicz によるレビューを翻訳したものです。
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「都市」について多くの事が語られますが、それでも語りつくすことはできません。ストーク・オン・トレントのAirSpace Gallery で開催中の展覧会「Indefinable Cities」では都市の様々な側面が描かれています。アートが都市をどのように象徴的に現しているのかということだけでなく、変化し続ける都市とアーティストの関係性や、アーティスト達のこれからの生き方をも示しているように感じました。この展覧会は、ストーク・オン・トレントを中心に活動するアーティストで、AirSpace Galleryのキュレーターでもあるアンナ・フランシスと、日本のキュレーターで月夜と少年の代表を務める吉田航が、共同で進めるプロジェクトの一貫として開催されました。それぞれの美意識と取り組みは、都市とその可能性を探るという多角的で大きな課題なもと、国を超えた対話へと発展しました。鑑賞者はそれぞれの時間に集中しながらも、ふと気づけばアーティスト達の空間に足を踏み入れている。そんなふうに展覧会は構成されていました。三人の日本人アーティストと三人のイギリス人アーティスト。二つの国の六人のアーティストによって構築された、作品と物語で満たされた隠れ家に沢山の可能性を見つけました。ギャラリーの中の静寂と、窓の外に見える変化を遂げつつあるストークの街並みとが合わさって、私たちはどこか夢のような場所へと導かれたのです。

捨てられた物で作られる西絢香の作品からは、現代の都市の姿が見えてきます。「夜の跡 (2009)」と題された銅版画の作品からは夜のかすかな煌きを感じました。今回、彼女は展覧会のために「記憶の記録」という作品を制作しました。その作品は、イギリスの陶磁器産業の中心地であるストーク・オン・トレントの、いたる所で見つける事が出来る陶器の欠片を集めて作られていました。割れてしまって、一度は忘れ去られたいくつもの欠片は、針金を使って新しく一つに繋ぎ合わされて、愛おしい姿に生まれ変わったのです。丁寧に掘り起こされた古い物語を紐解くように、ギャラリーの小さなくぼみに並べられた作品は、古いヴィクトリア時代の炉棚を思い起こさせます。さらに、日本の考古学的な手法を用いた、とても丁寧な手書きの図面も添えられていて、作品に確かな重みを与えています。それらは、古いものと新しいもの、外側(欠片が見つけられた場所)と内側(欠片の新しい居場所)、公共と個人の間に対話を形作っていました。

同じように、鈴木啓文の作品にも公共と個人の混じり合った空間が現れていました。彼の作品「知らない人日誌」では、大阪の景観や電車の中の人々が描かれています。対象物から距離を保っているのにもかかわらず、人々の多く行きかう通りを細部まで描いていて、街の様子が親密に捉えられています。ある期間のうちにそれぞれ違った視点で描かれた木々、建物、歩いている人々が都市の中で混じりあい、ある一瞬の時を生み出していました。

鈴木が街を真正面から描く事に焦点をあてている間に、村上大樹は「マニフェスト・フォー・フリー・タウン」と題された、ユートピアとも言える街の構想を’演じて’いました。’演じる’という言葉は決して間違えではありません。彼は様々な領域を横断する(漫画、ドローイング、インスタレーション、映像など)活動をしていて、パフォーマンスはその中心的な役割を担っています。「Indefinable Cities」では、大きなサイズの壁画が制作されました。そこでは、とても象徴的に一本の木が人々の暮らしと共生している様子が描かれていました。この楽園のような構想には選挙システムも組み込まれていました。投票箱が置かれ、展覧会の来場者は、彼をこのフリー・タウンの市長として投票する事が出来るのです。人々はどのようにすれば、持続可能な都市を構築できるのか、またアーティストとして社会と関わるとはどういう意味なのか。幾分シリアスな課題を掲げているのにもかかわらず、彼の作品は愉快である事を忘れず、感動的でとても惹きつけられてしまうのです。

展覧会に参加していた三人のイギリスのアーティスト達は、日本のアーティスト達の直接的な表現に比べて、都市における、よりコンセプチュアルな部分を象徴していたように思います。エミリー・スピードの作品は、常に建築と身体の関係性を描こうとしています。ある種、シェルターの様なものを思い浮かべるかもしれません。いくらかは村上の作品とも通じる所があるかもしれません。スピードは、とても自然にそして感覚的な方法で、建築物と身体双方からの影響を受け作品を作っています。重なり合った物、その組み合わせの全てが空間を作っているのです。常に書き加えたり、新しい物で覆って行くことで、生命の一端を見せてくれています。「Garbuglio/Tangle(もつれ)」という映像作品は、ローマでの滞在制作の体験から生まれたものです。人と石と衣服が互いに混じり合うように美しく描かれていて、建築物の隠れた個性を露わにしています。映像を投影していた、ダイアモンド型に継ぎ合わせて制作された、デコボコのカーテンによって、その印象は一層際立ったものになっていました。

ベン・コーヴもまた、建築的な構造と内側の空間による関係性を探っています。さらに加えるなら、彼の作品は抽象的で造形物を制作するような手法を用いた、古典的なモダニズムが特徴だと言えると思います。この展覧会で、彼は「Look-See」というインスタレーションを発表しました。数枚の絵と写真が、額縁の様な棚の様な飛び出した木に乗せられています。それらの断片は、整然と、大きな一つの画面に配置されていました。半分は空っぽの美術館のロッカーみたいだと言えば伝わるかもしれません。作品のタイトルからも察することが出来ますが、彼の作品と発想は、内側であろうと外側であろうと、その空間の間で釣り合いをとっています。私たちが認識出来ない範囲というのは、認識出来ている物自身と想像する事の関係性によって生まれるのです。

都市における、さらに自然に関する事は、レベッカ・チェズニーの作品に見ることが出来ました。彼女は人間が自然に対してどのような影響を与えているのかを探っています。作品は地味で控えめかもしれませんが、とても生き生きと表現されています。「Melodies 1-4」と題された4つの一連の作品は、とても繊細な感覚が反映されています。それぞれの作品は、鉛筆で幾何学的な図形が描かれています。そして、プレストンで録音された鳥のさえずりと、録音した場所の天気などのデータも、細かく記されて添えられています。そこに鳥と都市との関係性を感じました。ドローイング作品以外にも映像の作品があり、屋根に巣を作った鳥、蜂や蟻が間近で撮影され、その予期せぬ行動や彼らの興味深い住処が明かされていました。

「Indefinable」という言葉には図り知れない程の何かがあります。それは、全てを意味していて、同時に何をも意味していないのかもしれません。説明不能で曖昧な、そして微かで、刹那的でもあります。都市の多様なものが混じり合った様子は、様々な手法が用いられたこの展覧会に、はっきりと映し出されていました。あらゆる感覚を通じた経験を育むことが出来ました。まるで、6つの物語のようでした。視覚的なものも、文字として書かれたものも、それから、口伝えのようなものもありました。まさに、それぞれの空間、いえ、彼らの拠り所とも言える物語でした。
この展覧会を見終えて、私はイタロ・カルヴィーノの「見えない都市」という空想の都市を描いた短篇集を思い出しました。現実的な事というよりも、何か、もっと感情的な事なのかもしれませんが。その物語の中で、街は記憶と廃墟の遭遇で創られていました。たった一瞬の雰囲気で生み出される街が描かれているのです。カルヴィーノはこんなふうに記しています。「都市とは夢みたいなものだ。欲望と不安の産物だ。その事を皆は知っているのに隠そうとしている。下らない事だけれどね。彼らの展望は欺瞞に満ちている。そして全てが、何か別のものを覆い隠そうとしているんだよ。」

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Indefinable Cities
AirSpace Gallery, Stoke-on-Trent
10 April – 16 May 2015
Review by Dominika Mackiewicz
Translated by Koh Yoshida
Credit : Photograph copyright Glen Stoker

the text was commissioned and published originally by ‘this is tomorrow’