文章を書くこと、そして原発のこと、この二つが最近の僕の思考の半分以上を占拠している。

谷崎潤一郎が、文章の書き方を示してくれている。1886年から1965年に生きた作家なので、この本に書かれている事が全くそのまま今の時代に通用するとも思えない部分もある。でも、最近何故だか文章を書く機会の増えた僕には、参考になる所がとても多かった。曰く、芸術的な文章であろうと、実用的な文章であろうと、分かり易い文章というのが良い文章だと。話す事はその場で相手を感動させる事を主眼としているが、書く方はその感銘を長く記憶させる事に主眼があると。この本を読んでいると、現代の僕達が多く目にしている文章というのは、話す言葉に随分接近していると感じる。ツイッターとかSNSを中心としたインターネットの記事では、文章にすぐさま効果を求めてしまう。日本語の文章が本来持つ美しさとは、もう少し別のところにあるのだろうと思う。彼が現代の世に生きたとしたなら、どんな文章読本を書いただろうか。やっぱり当時と同じ様な事を書くだろうか。

1990年から1993年に文芸誌に池澤夏樹が寄稿し、1993年に単行本として発刊されている。今から20年も前の本だ。「楽しい終末」とは名ばかりのタイトルで、ここに彼が記した地球の幾つかの未来は全く楽しくない。「核と暮らす日々」「核と暮らす日々(続き)」と題された章は、原発が爆発した今となっては、現代の黙示録だったと言っても言い過ぎではない様に思う。この復刊にあたって新しく書かれたあとがきに、「これほどひどいことをするのが人間であり、それに耐えて希望を保つのが人間である。それを救いと受け取ることができる。」と結ばれている。人類の終末を凝視しそこにどの様な希望を見る事が出来るのか。これから、このとても大きな問いとともに生きて行くより他にない。