家の本棚を見ていると、フィクションが圧倒的に少ない。何故だ。中学、高校の頃は圧倒的にフィクションばかりを読んでいたはずなのだけれど。小説を読んでいて、僕にとって良い小説かどうか、それは、その物語の世界に没入できるかどうか、それだけにある。ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟、村上春樹のねじまき鳥クロニクル、この2冊は学校を数日休んで読書に明け暮れ、結果、物語の世界に没入し過ぎて、半ば自我を失い読後にかなりの喪失感にうなされた。

 でも、記憶力が良くないからかどれだけ感動した話でも、読み終わって暫く経つと話の大半は忘れ去ってしまう。僕にもっと記憶力があったら、小説家になっていたかもしれない。いや、別に記憶力なんか無くったって、それは関係無いのかもしれないけど、そういうイメージ。記憶力が欲しかった。

 そんな、記憶力の悪い僕が、かつてとてものめり込んで読んだ(はずの)日本の小説を幾つか。話のスジをほとんど覚えていない。でも、読んでいた当時の僕は物語の世界におおいに感銘を受けたし、その後の人生で僕が何かを選んで行く為の基準を与えてくれたと思っている。だから、死ぬ迄にあと2回はこの小説達を読み返してみたい。

 やっぱり、日本の純文学と言えば新潮文庫なんですかね。本当に日本語の物語って美しいなと思う。夏目漱石のこころを読んだ時、こんなぶっ飛んだ小説を書いた人をお札の肖像にしてしまう日本って凄いなと思った。

 確か高校生の時。家でとっていた週刊朝日に、町田康のエッセイが掲載されていた。それがとても面白く、その彼は昔パンクロッカーで、更には初の小説で芥川賞まで取ってしまったという、、、それで手に取ったこのきれぎれ。それまでに自分が読んで来た小説とは全く違う文体で面食らってしまった。

 一時、宮本輝の小説にはまり彼の作品ばかり読んでいた時期がある。京阪神を舞台に描かれる物語が多く、入り込みやすかったのかな。

 中学、高校時代に読んで、僕の恋愛観みたいなのは形成された。恥ずかし。まぁ、でも青春とはそんな物だろう。いつまでも、この物語を読んで胸が熱くなる様でありたいと思う。

 小学生の時、この本を読んで泣いた記憶がある。何で泣いたんだろう。いつかまた読んで、30歳を超えた自分がどんな風に感じるのかが気になる。