白水麻耶子



 今回、大阪出身で現在は尾道市に住むアーティスト、白水麻耶子の自宅兼アトリエを訪れインタビューを行った。この日は久しぶりの良い天気で、お盆を過ぎてはいたけれど、夕方になっても暑く、坂の上の彼女のアトリエに着く頃には汗が吹き出していた。アトリエには彼女の作品や、色々な所を旅して集めた物が沢山並べられていて、あのさっきの細い坂道を上って来る間に、どこか異国に迷い込んでしまったかのような不思議な気分になった。

 そこで静かに彼女が語ってくれた無数の記憶の断片、そして話を聞きながら食べた無花果までも、それらの一つ一つが何か密やかな意味を持つトランプのカードように、二人の間に丁寧に並べられていった。「100年後の未来に残したいモノ」というテーマにたどり着くまで、およそ2時間を超える長いインタビューとなった。どこかを旅するような気持ちで、ゆっくりと読んでもらえればと思う。

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幼い頃からの記憶の断片。

 2歳とか3歳ぐらいだったかな。お気に入りのアイスの最後の一口がお父さんの口の中に吸い込まれていくところとか。そんな事を執拗に覚えている。 雪が降って積もった日の事を覚えている。雪合戦をしていて、投げた雪がドアに飛んでいって、ガラスにべしゃって当たった時の、そのドアの奥に居た人の驚いた顔とか。
 断片的な記憶ばっかり。小さい頃、下が造花屋さんで、大家さんの一家の上に間借りして住んでいて、クリスマスのツリーとかに使うような、丸いキラキラのやつとか、割れた飾りとかをおばちゃんがよくくれた。その感じを良く覚えている。家の屋上で花びらを絞って色水を作って、花を浮かべたり。
 幼稚園の給食が嫌だった。ミロとご飯を一緒に食べるのが嫌でね。山吹色のお弁当箱に入っていた。持っていた物が何色だったとか、あれは何色だったなとか良く覚えている。新聞に入っている広告の紙をもらってよく絵を描いて遊んだ。裏が白い広告の紙が沢山入っていると嬉しかったな。

 そう言えば、中2の時の事。ある晩父がジョギングに行って、近所の公園で子犬を拾ってきた。こう、ウィンドブレーカーの中に入れて。母も怒りながらも、とりあえずは飼う事になって、そうしたら夜中の2時頃から凄い鳴き出して。犬を飼うのが初めてで、どうすれば良いのか分からず、おろおろするばかりで、とりあえず家族皆台所で子犬の周りに集まっていた。そしたら、地震が起きて、、、阪神大震災だった。壁一面のレコードが全部落ちたりとか結構大変な事になった。あの時子犬を拾ってなかったらケガぐらいしてたかもねと言っていた。そんなポンタも一昨年亡くなったんだけど。

 高校受験の時に、絵が好きなら美術系の高校が良いんじゃないと勧められたけど、その時にはやっていける自信が無くて、そっちには行かなかった。それで、私服で通えて、あまり校則も厳しくない学校へ行った。周りの環境が変わって、中学の時より、絵を描くのが好きだという事を意識するようになっていた。美術系の大学に行こうと思って、高3からは美大の予備校に通った。周りが絵を描く人ばかりで、それは凄く強烈な体験だった。絵を描く事にも、向き合えるようになって、自然と外の世界も広がっていったように感じる。

 京芸(*1)を受けたけどだめで、その後に受けられるのが、金美(*2)の工芸だけだった。油絵とかは試験でやる事が全然違って受けれないから、そこしかなくて、工芸って何だろうって思いながら試験を受けた。試験のデッサンの課題が丸太で、凄い大きい丸太がゴロンって転がっていた。天気の良い日で外は雪が積もっていて、白い光に丸太が照らされて奇麗だった。それで、楽しいって思いながら試験を受けたら、今度は無事に合格だった。

 大学に入って、周りもほとんどが工芸って何?みたいな子ばっかりで、まず漆とか彫金とか陶芸とか一通りやって、その後どれをやりたいか選ぶ。で、何故か陶芸を選んだ。色が好きだったから、織物とどっちにするか最後まで悩んだけど、手で直接触って形にするっていうのがよかったのかな。それまでは、平面的なイメージだった物が、手の中で削ったり、くっつけたりしながら3次元に出来る。その感じが凄く楽しかった。だから、あまり器とかを作っていたわけじゃなかった。器を100個作ってから自分の好きな物を作れーって、よく韓国からの留学生に怒られていた。昼間は器を作って、夜は自分の好きな物を作る。学校が24時間開いていて、いつも学校にいたから守衛さんと仲良しだった。陶芸をしてなかったら、今、全然違う絵を描いていたんじゃないかと思う。

 学校を卒業した後も、畑を借りて野焼きで焼き物を作ったりしていた。元気だったからバイトを掛け持ちしたりして、好きな物を作っていた。でも、焼き物って焼いた後に、こんなはずじゃなかった、もっとこうしたかったと思っても、手を入れられないのが何となく嫌で、陶芸から離れていった。そこから、木を使ったり絵を描くようになったり。でも、最近張り子みたいのをずっと作っていて、出来上がったものが軽いの。それで、今度は重いものが懐かしくなってきた。また焼き物をやりたいなと思っている。

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旅をする事、何かを信じるという事。

 それから、しばらくは本当にふらふらしていた。20歳でパスポートを取りに行って、それで最初はタイに一人で行った。初めての外国で言葉も分からないし湿気とか色んなものにやられまくっていて、フラフラになって騙されたおして、くやしくて、めげずに毎年いろんな国にいくようになった。メキシコが好きな感じだった。あとは、インド、中国もカシュガルとかウイグルとかの砂っぽい所。お金はあんまり無かったからアジアばっかり。民族っぽいものがうらやましかった。その土地に根付いた生きた宗教。その土地の人たち皆が信じている神様いて、そこから派生した模様が凄く奇麗だなと思ったり。

 時々展覧会にも作品を出したりしていたけど、何かを作って展示するには、作品とか道具を置く場所が必要だし、腰を据えてやりたいのだけれど、行きたい所とか見たいものも沢山あるし。何を優先させるのか順番をどうするのか悩みながら、ダラダラしていた。まとめてお金稼いで、それで「来週からちょっとメキシコ行って来る」みたいな。
 
 ちっちゃい頃、魔法じゃないけど、何かそういう不思議な事も、もしかしたら、本当に出来るようになるかもしれないって練習したりするでしょ。でもある時、それはやっぱり出来ないのかもしれないって気付く時があるでしょ。あとは、何か作っていても、夕日とか海とか山とか十分に奇麗で、何にも作る必要ないなって思う時の諦めとか。そんなふうに思う時の自分って凄く空っぽで、それで、その隙き間を埋めるようにふらふらしていたのかも。こんなにも何も出来ない私があそこに行って帰ってこれるだろうか、ってそんな感覚で旅に出る。でも、ひょっとしたら絵を描くのもどこかそんな感覚があるのかもしれない。

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流れ着いた尾道という街。

 そんなふらふらしていた時期に、留学してみようか?とドイツに行った事があった。その時たまたま飛行機で隣に座った人と仲良くなって、日本に帰ったら結婚をするから、結婚式に来ませんか?と誘われた。その人は、よくハライソ珈琲(*3)に通っていたみたいで、吉崎さん(*4)もその結婚式に来ていた。それで、私がお祝いであげた人形と絵の事を吉崎さんが覚えていてくれて、ハライソが今の場所に移転する時に、壁に絵を描きに来ませんかと誘ってくれた。

 絵を描きに来たら、私が知っているのは吉崎さんだけだったんだけど、じゃぁこのへんに絵を描いて、それで泊まるのはここねって言われて、空いてる家の家守をする事になって、で吉崎さんはお店の新装開店で買い付けがあるからってタイに行ってしまった。知り合いも誰も居ないところで、一人取り残された。でも、描かないと帰れないから絵を描いていたら、日替わりで色んな人が覗きに来た。今程には尾道に人も居なかったけど、その時に三上さん(*5)とかケイキさん(*6)とか主要な人に会って、すごく新鮮な感覚だった。で、絵を描き終わったら帰るんだろうなと思っていたけど、タイミングよくまわりに暫く家を空けるから使って良いよっていう人が居たりとかして、あぁ何か住みやすそうな街だなって思っていた。

 二週間ぐらいで壁画は完成して、一度大阪に帰ったけど、あの坂の所に住んでみたいな、尾道に住もうかなと思った。それがこんなに長くなるとは思わなかったけど、いろんな街をふらふらしていて、そろそろ家に住みたくなったのか、一回落ち着きたかった。その頃、家に憧れていて、家の絵ばっかり描いていた。それで、尾道に移り住んだのが2007年だった。こんなに長い間一つの住んだ事はなくて、この場所も好きなんだけど、今はまたちょっと引っ越しをしようかなと思っている。と言っても向島なんだけど。展覧会の時とか、大きい段ボールをいくつも集荷を頼んだりして、申し訳ないなと思う。次は平地で、もう少し制作する場所を広げたいなと思っている。

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似顔絵お面 、作品制作の話。

 3、4年前にあるイベントに誘われて、何かしなきゃならなくて、似顔絵お面を始めた。仮面みたいな反立体の似顔絵を作ったら、面白そうだなと思った。別に練習をしていくわけでもなく、とりあえず目だけ沢山作って目と段ボールだけ持っていった。それで実際に作ってみたら面白かった。段ボールをキュキュっとやって、ホッチキスで止めて、色を塗ってそれだけの物なんだけど、皆異常に喜ぶの。それ以来イベントとか展示があるといっつも似顔絵お面をするようになった。私もそんなに似顔絵を描いてもらう事なんてないし、至近距離で何を話せば良いんだろうって、美容院とかもすごい苦手だし。だから始めはおずおずとした感じで。そのうち何をしていても良いですよと言えるようになって、すっと出来るようになった。ずっと寝ている人もいるし、生い立ちをずっと話してくれる人とか、会社の相談をされたりとか、占いじゃないないんだけどとか思いながら。

 緊張している人は固まっていて作りにくい。それでも、好きな物の事とかを話しだすと作りやすくて、色とかも決めやすい。一番作りにくいのが流行の化粧をしているすました女の人。表情というか色が見えてこない。でも、何かのきっかけで、ぱっと心を開く瞬間があって、そしたら作れる。似顔絵お面ってうたっているから、自然と相手の事をよく見る。話している事とか、その人の様子とか。そうすると、普段自分が好きに絵を描いている時には使わないような、レモンイエローとピンクと紫みたいな色を使ったりして面白い。それに、こんな絵の具の触り方しないよなとか、自分で少し驚きながら作っている。

 500人ぐらい作ったら何か良い事あるかなと思っている。このあいだ数えてみたら、150は作っていて200ぐらいかな。何も自分の手元に残らないんだけど。玄関に飾ってるっていう人が多いみたい。

 絵本を描きたいなとずっと思っている。小さい頃に何度も読んだ物を大人になってからもう一度読むと凄く面白かったりする、そういうのが良いなと思っている。民話の挿絵とか。私の作る物は、いわゆる現代アートみたいに、言葉が必要な物でもないし、そんなに意味のある物でもない。家の片隅にごろんとずっとある様なもので、だけどずっと大事にされている物。何とかの神様ではないけど、その人の守り神みたいな物、そういうのを作りたいと思っている。
作っているときは、別に念を込めてるわけではないんだけど、作り終えて少し自分から離れて展示の時とかにみると、これ念がこもりすぎてるなって思う事がある。作ってる時は夢中でよく分からないんだけど。

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100年後の未来に残したいモノ。

 今ある当たり前のもの。水とか青い空とか、青い空は奇麗って思う感覚とか。当たり前に思っている感覚。100年ぐらい経ったら、あの時代は奇跡的に平和な時代でしたね、とか言われちゃうのかな。海がきれい、山も良いなとか。ぎりぎりな感じな山とか石とか、忘れられそうな物とかを有り難がる気持ちとか。それがなくなったら怖いなと思う。100年もすると色の定義とか変わってたりするのかな。100年後空のスタンダードは黄色かもしれない。


*1 京都市立芸術大学
*2 金沢美術工芸大学
*3 尾道の商店街にあるカフェ。アーティストなど全国にファンが多い。
*4 香味喫茶ハライソ珈琲の店主。
*5 アーティスト、光明寺會舘代表なかた美術館ディレクター。
*6 keikiの名で活動する尾道在住のミュージシャン。

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