妻と喧嘩等すると、人と人との感情はというのはまるで鏡の様だな、と改めて思う。妻がイライラしたり腹を立てている時は、大抵自分もイライラして腹を立てている。寧ろ自分がイライラしているから、相手がイライラしてくるという事も大いにある。反対に相手が晴れやかな優しい気持ちでいる時など、自分も同じ様な気持ちになるのだから、自分自身から常にその様に努力すれば良いのだろうけれど、なかなかそれが難しい。

 この「流星ひとつ」という本を読んでいて、真先に感じるのが、藤圭子という人物の真直ぐさと透明さだ。約30年前に沢木耕太郎が引退直前の藤圭子に行ったインタビューをお互いの会話のみで記した、沢木耕太郎の最新作だ。僕が生まれた時には藤圭子は既に引退していて、彼女がヒットを連発した偉大な歌手である事など全く知らず、宇多田ヒカルがデビューした際に祖母から、この人のお母さんは藤圭子という人でとても綺麗でね、云々といった事を聞いたぐらいだ。東京のバーで二人してウォッカトニックを8杯も飲みながら行われたインタビューが、一旦は藤圭子と著者のもとにのみ残されただけになっていたのだけれど、今年の藤圭子の転落死がきっかけとなって発刊される事になったという。

 沢木耕太郎の著作はこれまでに幾つか読んだ事がある。とても真摯に相手と向き合い、丁寧な言葉で綴られるノンフィクションの作品がどれも僕の気持ちにピッタリと来るものだった。取材相手との絶妙な距離の取り方、そして常に好奇心と愛情をもって接している事が伝わってきて、最近人の話を聞く機会が増えている僕にとって、彼の作品は素晴しい教科書となっている。

 きっと沢木耕太郎だったからこそ、藤圭子のこんなにも純粋で透明だった、歌と人への想いが引き出されたのだろうと思う。30年前にこのインタビューが行われた時、この二人の間には、とても透明で硬質な輝きを放つ、どこか恋にも似た様な感情が漂っていたのではないか、とさえ感じた。読み終えて、彼女が遺した幾つかの歌を聴いた。普段演歌等全く聴く事はないが、とてもすんなりと身体へと染み混んでくるみたいに感じられた。とても素晴しい歌い手であったのだろう。