この文章は、2011年3月15日の午後から書き始めました。場所は大阪。去る2011年3月11日に東日本特に東北部を中心にかつて僕達が体験した事が無い程の巨大な地震と、それに伴う巨大な津波が襲いました。時間が経つに従って明らかになってきた被害状況、様子は正に未曾有の大災害だと言わなければならない、またどんな言葉も意味を持たないのではないかと思ってしまう程のニュースが伝わってきます。さらに、それに加えて東京電力の福島原子力発電所の緊急事態の報告からも目が離せなくなっています。

僕は14歳、中学2年の時に阪神淡路大震災を芦屋で経験しました。幸いにも鉄筋コンクリートのマンション住まいだった為に家も家族も皆無事でした。しかし一歩外に出ると、街は崩壊していました。そんな経験もあったので、今回のこの地震も発生当初は震度7というニュースを聴きながらも、どこかでまぁ、あの震災より酷い状況にはならないだろうという様な事を思っていました。後になって、自然災害の状況なんて比べて優劣を付けるものではありませんが、これはあの時よりもずっと酷い状況なのかもしれないと思うに至りました。

毎日、ニュースやインターネットで情報を集めるだけで、被災地から遠く離れた自分の力の及ばなさ、というか全く何も出来る事がないという事実にぶち当たり、しばし呆然となります。今僕の生活する街は、普段の生活とほぼ変わりのない毎日を送る事が出来ています(現段階ではという条件付きですが)。そんな、傍観者とまでもいわないまでも、明らかに現場に居合わせない自分が、何かを書き記すという事に、どんな意味とそして責任が生じるのかもうまく理解できぬまま、迷いながらでも、今この時に一人の人間として感じていることを残しておく事は、いずれ誰かの何かの役に立つ日も来るのかもしれません。そう思い、迷い、考え、慎重に、でも率直にここに僕の思いを残しておこうとしています。

3月11日、僕は妻と共にに自分たちの運営する仕事場であるギャラリーのワークスペースで事務作業をしていました。始めは妻が「あ、私貧血かも。」という事を言いました。数秒して自分自身もフラフラとするなという事を感じ「あ、僕も貧血かも。」と言いました。しかしそんな、二人も同時に貧血になるなんて事は、あまり現実的な話ではなく、すぐに天井から下がっている電球がユラユラと大きく揺れていることに気づき、地震だという判断に至りました。そのぐらい、僕自身がこれまでに経験していた地震の揺れとは全く違い、大きく大きく、ゆっくりと地面全体を揺り動かされているような、そんな揺れでした。数十秒から二-三分は揺れが続いていたのではないでしょうか。地震に気づき外に出てきている人が通りに沢山いました。この長い周期の揺れを大阪で感じているという事は、きっと震源地ではかなりの揺れであったであろうという事がふと思い浮かびました。すぐにネットで確認すると、三陸沖が震源で最大震度は7と出ていました。その時点ではまだ、大きな地震が起こったなと思いましたが、先にも書いた様に、あの阪神大震災程ではないだろうと、勝手に思っていました。しばらくは情報もあまりなく、数時間たって少しずつ映像などが伝わりだしてからやっと、これはとんでもない事になっていると思い至る様になりました。

そこから、ニュース、インターネット、ラジオ等から流れる情報が気になって、色んな事に手が付かないようになってきていました。特に地震後福島原子力発電所の緊急事態が明らかになってからは、どうしてもその事から離れるという事が難しくなってしまっています。これまでの自身の不勉強のせいで、原子力発電の事等あまりにも知らない事が多すぎて、どの様に考え、判断し、行動すれば良いのかという事がよく分からずに時間が過ぎていってしまいます。悠長な事を言っている場合ではないと思いますが、実際にこれまでは、雑誌や書籍、たまにテレビで報道されたり、そういう原子力関係の事実に触れても「あぁ、放射線って怖いな、原子力発電なんてやめれば良いのに。」という無責任な発想を持つくらいしかしてこなかったのです。現実に起こった巨大な事態に、立ちすくしてしまっています。ただ、今必死に出来る限りの情報を入れ学習し、思考するということに火を入れたいと思っています。そして何かしらの自分自身にとっての指針を見つけ出さなければならないと思っています。

無闇に不安を煽ろうと思ってはいませんが、しかし今自分自身の置かれる環境が、この地震の起こる前みたいに、安全でそして安定した環境だとは信じることが出来なくなっています。原子力、放射線と言ったモノへの恐怖の根源は幾重にも折り重なる、様々な闇がある様な気がしています。放射線それ自体は無味無臭で五感でその危険を察知する事が出来ない、そしてその影響が現在だけでなく、潜在的に数十年という未来に渡って影響を与え続けるかもしれないという、未知の存在への恐怖。そして、広島、長崎で経験した原子爆弾の被爆という過去の歴史へのトラウマ。現代の都市部での快適だと思い込んでいる生活の維持と安定のために動き続ける、遠隔地に存在する原子力発電所。これは、先進国と呼ばれてきた日本のコミュニティに内在していた不条理の象徴の様な気がします。その見えない闇の深さにとてもナーバスになってしまいます。テレビで繰り返し言われる様に「すぐに人体に影響を及ぼすレベルの放射線量ではない。」という事を素直に受け入れられずにいます。

ただ、今となってよく考えてみると、未来とはそもそもどんな約束をも保証してくれるものではなかったのだと思います。放射性物質が降ってこようと降ってこまいと、自分自身が明日も必ず生きている、10年後も必ず健康だなんていう保証はどこにもなかったのです。放射性物質を避けるために、国外へ脱出しようとするその飛行機がひょっとしたら事故を起こす可能性だってあるわけです。今僕がこうやって生きているのは、これまでの幾千もの選択の上に記された、実に不確かな点と点の微かな連続に過ぎないと思うのです。これからの僕達の決断、選択の一つ一つの結果は、もっと確かな重みを持って実感する事になるのではないでしょうか。僕は今、不確かな未来に怯えるのではなく、僕自身が、そして僕の大切な人達が、豊かに幸せと共に生きていける為に、自分に課せられた使命にこれまで以上に一生懸命取り組まなければならないと思っています。

明日が必ず健康でいられるのか、それは分からないけれど、今この時に聴こえてくるピアノの音は美しいし、一編の詩は深淵な世界を示し、力強い言葉が胸を揺さぶる。僕にはそれで充分なのです。時々停電があったって、電車が時間通りに来なくたって、お店が7時には閉まっていたって、少しぐらいお腹が空いたって、有り余る物がなくたっていっこうに構わないです。少しぐらい不便な方が良いのではないでしょうか。小さなコミュニティでお互いの手の届く範囲で、色んなモノをシェアして行けば、それなりに豊かで幸せな人生を築く事が出来ると思います。そんな風に生きていく為に、僕に出来る事を必死にやらなければならないのです。誰のせいにも出来ないし、僕自身の人生なのですから。