坂本ミン

1986年生まれのアーティスト。写真や平面の作品 (ほとんど発表していないが、これがまたなかなか良いのだ) もあるのだが、現在は主に人形作品を制作している。布、紙、枝や木の実、種といった植物、使われなくなった生活雑貨まで、実に多種多様な素材を用いて、どこかの国の古い寓話から飛び出して来た、動物の様な、人間の様な、神様の様なとてもユーモラスな生き生きとした造形を生み出す。そんな彼女の創り出している世界観は、日本人が古くから語り継いで来た、八百万の神々による物語とどこか通じる感覚がある。

彼女が今生きる世界をどのように感じ、何を作ろうとしているのか、そして100年先の未来に残したいと思っている物は何なのか。過去を知り深めて行く事は、未来への何らかの気付きを与えるのではないか、そんな事を思いながら話を聞いた。

一番始めの記憶。幼い頃の光に包まれていた様な感覚、不思議な物語の様な記憶。

香川で生まれて、5歳で神戸に引っ越してくるまでの間、その頃に住んでいた家の事や、家の周りで遊んでいた事。当時住んでいた家の玄関がとても広くて、そこで母親と並んで昼寝をしていた。玄関部分は吹き抜けになっていて、高い天井から明るい光が射していた。ふと目を覚ましたら、まだ母親は隣で寝ていて、一人でぼーっとその白い光を眺めていた。そんな風景を覚えている。それと、もう一つ覚えている事。家の近くに森があって、そこに兄達とよく遊びに行っていた。ある時基地を作ろうという事になって、森に出かけた。森について、兄からガムテープを出すように言われた。小さなカバンを持っていて、絶対に持って来ていたはずなのに、そのガムテープが無い。取りに帰れと言われて、しぶしぶ家に戻ってみると、机の上にぽんとガムテープが置かれていた。今思えば、ただ単にカバンに入れ忘れただけの話なのだろうけど、当時は、絶対に持って出かけていた、カラスが私のガムテープをカバンから取って、家の窓から入って机の上に置いていった、カラスが悪戯をしたんだと信じていた。

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物を作り始めたきっかけ。一人静かな気持ちになる。それは特別な時間だった。

神戸に引っ越して来て、小学校に上がるまでの1年間通った保育園(*1)の事は少しよく覚えている。何かを作るのが好きになった一つのきっかけだったんじゃないかと思う。皆で一緒に歌を歌ったり、同じ遊びをしたりというのではなくて、それぞれが、今日一日のやる事を決めて、それぞれで何かを作ってみたり、遊んだりしていた。その作った物を見て、母親が喜んでいるのが嬉しかった。褒められるというのではなくて、ただ喜んでくれていた。それが本当に嬉しかったし、もっと作ろうと思った。それと、カトリック系の保育園だったから、お祈りの時間があった。静かな気持ちになる、それは特別な時間だと感じていたし、小学校に上がってからは、給食を食べる時にお祈りをしない事や、特別な時間が無い事をとても心苦しく感じていた。成長するにつれて、お祈りという行為は無くなっていったんだけど、小学校に上がってからもしばらくは、同じ保育園に通っていた友達と、保育園に寄ってお祈りをして帰ったりしていた。

小・中学校時代。小さな部屋の中で、アートだけは広く世界と繋がっていた。

小学校の2年生の時に起きた阪神大震災の事以外あまりよく覚えていない。あの枠にはめられた様な、皆でこういう風にしなければならない、というのがどうしても馴染めなかった。その後の中学時代はもっとひどくて、家庭の事情もあったりで、本当に暗黒時代だった。学校に行かない日が増えたりして、家で外国のアニメーションをよく観ていた。アメリカのアニメーションが結構衝撃だった。四角いはずの物が思い切り歪んでいたり、人の顔が紫色だったり、とにかく凄くデフォルメされている。日本のアニメだと色々変なキャラクターは出て来るけど、例えば家の中の絵とかは家具にもきっちりとパースがかけられて描かれていたりする。その違いって何だろうと不思議に思いながら、よく観ていた。あと、影響を受けたと言えば、ボテロ(*2)という画家の描く絵が好きだった。人の絵なんだけど、太っているというかバランスの変な絵。後になって知ったんだけど、ボテロは太った人を描いていたんじゃなくて、膨らんだ人を描いていたらしい。何か、それって最高だなと思った。それと、母親はいつ買ったか知らないと言っていたけど、何故か家にあったレッド・グルームス(*3)という人の作品集。これが当時何でかは分からないけど、凄く怖かった。観るのも嫌だしその作品集の事を考えるのも嫌なぐらいだった。今では、その作品集も作家も大好きなんだけど。

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制作は日々の生活の中にある。自然と同じ様に全ては循環していく。

高校からは、少し変わった学校に通っていた。170種ぐらいある授業の中から自分でカリキュラムを組めるような学校で、私は美術系の授業を多くとっていた。自分のやりたい事をやりたい様に学べたし、周りには色んな夢を持った人達がいて、それが刺激的だった。その高校の時に色々な素材や技法を使って物を作る事が出来て、それは凄く今の制作にも繋がっているんじゃないかと思う。これは小さい頃から変わらない感覚なんだけど、色んな物を触って、手を動かして何かしら作っていると、静かな気持ちになれる。それと同時に、敏感にもなっている。感覚がスーっと小さな所に入っていって、外の事にとらわれずに、ちゃんと自分にとって悲しい事、嬉しい事を感じる事が出来る。

制作は、日々の生活の中にあって、例えば、時間をつぶすのにテレビを見ているのに近いのかもしれない。作った物も、ずっと残しておきたいという感覚も無くて、出来上がった物にあまり執着がない。前に作った物をバラして、また別の物を作ったりもするし。作品であっても何でも、要は素材で、時間が経てばバラバラになるというか、自然と同じで循環していく。今は作品として、こういう形になっているのかもしれないけど、それはたまたま今この時に集まって来ているだけで、また別の時にはバラバラになったり他の何かとくっついたりして、別の形になっている。何でも、そんなものなんじゃないかなと思う。

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100年先の未来に残したい物について。想像力の働く源はどこにあるのか。

100年も経ったら、色々価値観も変わってだろうし、今良いと思ってる事も、そうでなくなってるだろうし、変化するし、廻っているから、どうしたって同じ物って無いんじゃないかな。だから、残したいものって無い、、、というか残らないんじゃないかな。

おっかないという感覚はなくなって欲しくないかな。怖い、とは少し違って、何だか得体の知れない物を感じる様な、おっかないという感覚。それは無くしたくないなと思う。岐阜の田舎に行くと、夜は本当に闇で、それこそおっかなくて、そういうおっかない所には近付きたくないと思う。気になるんだけど、やっぱりおっかないみたいな。近付けないから、色々想像力がふくらんでしまうんだけど、それで余計におっかないみたいな。今、そういう得体の知れない物とか、もちろん闇もそうだけど、どんどん無くなっていっている。でも、そういう所に想像力の素がある。それは、やっぱり残った方が良いなと思う。

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(*1) 自由な環境の中で、感覚教育と自発性を重んじる、「モンテッソーリ教育」を実践する保育園に通っていた。
(*2) ボテロ: Fernando Botero, 1939年コロンビア出身の画家、彫刻家。“最もコロンビア人らしい芸術家”と呼ばれる。
(*3) レッド・グルームス: Red Grooms, 1937年アメリカ出身の芸術家。

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