100年後の未来に残したいモノ

ツダモトシ

1978年生まれ。画家。筆の動きの中から無意識に生まれる様々な線や形、色彩を捉えて、摩訶不思議な何処か異国の神話の中の世界の様な絵を描き出す。近年では大柳美和がインスタレーションを受け持ち、平面的なアプローチだけではなく、空間全体に絵から溢れ出す世界が立ち上る様な展覧会を行っている。
彼が描く世界の中で、自ら進んで迷子になりながら触れようとしている物は一体何なのだろう。そこに、100年先の未来にも残るモノの手がかりがある気がした。

誰の物でもない様な原っぱがあった頃。「にんじんバス」の記憶。

一番始めの記憶と言われて思い出した事がある。3、4歳頃の話。神奈川県の相模原市の田名という所に住んでいて、まだその頃は田んぼがいっぱいあって、そんな農地の片隅に古いバスが置かれていた。それは、うちの親父が古くなって使われなくなったバスを買い取った物で、僕達は「にんじんバス」と呼んでいた。5、6家族ぐらいの子供達が集まって、その「にんじんバス」の周りで遊んだり、中で絵を描いたりして過ごしていた。川遊びに行ったり、泥遊びをしたり、桑の実をとってジャムを作ったりもしたし、畑ではヤギも飼っていた。そう言えば皆で運動会の様な事もした。そうやって、幼稚園や保育園には通わずに、小さい頃は、その「にんじんバス」でほとんどの時間を過ごしていた。
これは、後から当時母親達が出していた広報誌を読んで知ったんだけど、70年代から80年代にかけて、その頃の日本では環境汚染の問題がピックアップされる様になった時代で、そういう 事に関心を寄せていた親達が、学童保育の様な集まりを形成しようとしていたみたいなんだよね。うちの母親はその頃から5分づきのお米を使ったりしていて、当時の環境の事に関しても、教育の事に関しても疑問を感じていたんだと思う。子供達も、もう少しナチュラルな環境で育てるのが良いんじゃないかと思っていたみたい。
田んぼもまだまだ沢山あったし、誰の物でも無い様な原っぱがいっぱいあった。勉強みたいな事は全くしなかったけど、良い環境だったし、良い経験だったと思う。

小学校の中の世界と、犬との散歩を通して見た世界。

小学校の2年生ぐらいまでは、割と快活な少年だったと思う。ある時、住んでいた団地にビッコをひいた白い犬が迷い込んで来た。その白い犬を飼う事になって、少し田舎の方へ引っ越した。でもその引っ越しと同時に、僕はあまり快活な少年ではなくなってしまった。恥ずかしがり屋で引っ込み思案な子供になっていった。引っ越して来て、上手く溶け込めなくて、なかなか友達になろうという事が言えなかった。ある時、学校の屋上で給食を食べる日があった。ご飯を一人きりで食べるっていうのは本当に嫌で、何とも言えない気分になる。その時に勇気を出して、「一緒に食べよう。」って言った事を凄く覚えている。
団地で拾った白い犬は引っ越して1年ぐらいで死んじゃったんだけど、その後にコロっていう茶色い雑種の犬を飼った。そいつを連れて近くの山までよく散歩に行った。何も考えずに黙々と1、2時間かけて頂上まで登って降りて来る。一人で山に行くのは嫌だったけど、そいつを連れて山に行くのは心強かった。小学校6年の時に研究発表みたいなのがあって、その山に咲く花をスケッチしたり、地図を描いたりして発表した。僕の中では、友達があまり居なかったという事と、犬との散歩の事がリンクしている。
中学になってからバスケを始めて、恥ずかしがり屋みたいな事はなくなっていった。そこそこ楽しくやっていたんだけど、3年生の時に練習中ふざけてて足を捻挫してしまって、最後の大会は出れなかった。バスケ自体も、高校になったら先輩とかOBとかも沢山居て、そういうのが全く馴染めなかった。昔からそう言う所がある。最後の最後でふざけちゃうというか、詰めが甘いというか、それですぐ諦めてしまう。うちの母親も、「うちの家系は最後の詰めが甘いからあんたは気を付けなさい。」ってずっと言っていた。それは、受験の時とか人生の色んな所で出てくる。あんまり高校の時の事って印象に残っていない。

自分が一年後に何をやっているのか全然イメージ出来なかった。

大学を受験する時に、ずっと田舎に住んでいたし、農業だったら少し実感が持てたしイメージが湧いた。それで、東京農大の国際食料情報学部という所に入ったんだけど、あまり勉強はしなかった。学校が遠くて一人暮らしをして通っていて、バイトばっかりしてた。覚えているのは、大学3年の時に近くにいた猫を拾ってきてそいつと一緒に暮らしてた事かな。そんな感じだったから、自分のやりたい事も分からないし、自分が一年後に何をやっているのか全然イメージ出来ない。まぁ、それでも就職しないとと思って、友達が受けていた会社を僕も受けてみた。所謂オーガニックと呼ばれる分野の物を扱っている会社だった。有機食材とかに当時そんなに興味があったわけでもないし、自分はと言えば料理もほとんどしないし、コンビニ弁当みたいな物ばかり食べてたし、本当にたまたま入っただけだった。でも、入ってみるとそれなりに色々と思う事があった。オーガニックの野菜ってやたらと高いし、そういうのを買うのってお金持ちの人ばかり。もっとこういう物こそ、普通に誰もが買える様になればいいのにと思っていた。有機野菜という表面上の一つの印だけで、お金を持っている人だけに野菜を売るというのが、納得しきれずに働いていた。 そんな会社の転勤で初めて神戸に来たり、色んな所を転々としながら店長になったりして働いたけど、暫くしてその会社を辞めた。

絵はね、ずっと描いていた。 大学を卒業して、就職先を探していた頃にも、イラストレーターってどうやってなるんだろうと、漠然と思ったりしていた。机とか教科書の脇に描いていた様な、そんな物の延長線上にあった、おちゃらけた絵だったけど、小さな紙切れに描いては、安アパートの壁に貼ったりしてた。よくよく考えたら、ずっと続けられている事って絵を書くことしかなかった。紙に向かって何かを描くのは、ずっと辞めてなかった。絵はずっと描いていたし、そっちの方向に行きたいとは思っていたけど、どうして良いのか分からなかった。自分自身の描いたこの絵が良い絵なのかどうなのか、というのも分からなかった。自分の絵ってものが分からなかったし、それを持っていない事へのコンプレックスもあった。あと、美術を大学で学ばなかった事もコンプレックスになっていた。

強く思う事、惹かれる物を放っぽり出さずに居る事。

会社を辞めて暫くしてから、住んでいた家の近くにあった、 Gallery Vie (*1)でやっていた絵話塾(*2)に1年間通った。そこの講師には荒井良二(*3)さんとか自分がそれまで雲の上の存在と思っていた人たちが居て、そして 、自分と同じ様に絵を描きたいと思っている人が沢山居るんだと分かった。その時ようやく一歩踏み出せた様に思えた。28歳ぐらいだったかな。随分遅いスタートだったと思うけれど。それから何年も経って、この間 Gallery Vie の人に声を掛けてもらって、展覧会が出来たのは凄く嬉しかった。絵話塾を出てからも、そうやって僕の活動を気にしてくれていて、それで声をかけてくれたというのが嬉しかった。
絵話塾の講師もしている人で、寺門孝之(*4)さんという人が居て、とても好きな絵を描く人なんだけど、その人が僕のGallery Vie での展覧会に来てくれた。じっくり観てくれて、「とても良い絵ですね。」と言ってくれて、作品も買ってくれた。もう、感無量でね。自分の大好きな人が、自分の絵を買ってくれる。こんな事があるんだ、と思ったし、ずっと美術を続けてきて良かったと思った。色々話をしていて、僕が寺門さんの絵に引き付けられる物と、似た様な何かが僕の絵の中にもあるのかもしれないと思えた。
好きな物にアプローチし続けている事で、そこに線が繋がっていって交わる事がある。それは自然な事で、強く思う事、惹かれる物を、途中で放っぽり出さずに居れば絶対に行き着くんだと思う。

自我を取り払って、人間の芯に触れる様な物、それはきっといつまでも残る。

今の段階で、自分自身が良いなとか、素敵だなと思っている物って、100年後にも残っているんじゃないかな。そんな作品の中には、時代にとらわれる事なく響く通奏低音の様な物、人間の芯みたいな物、それはユングの言う所の集合的無意識みたいな物がある気がする。そういう身体の中にスーっと入ってくる様な物って、自分だけではなくて、他の人にとっても同じ様に感じる物なんじゃないかな。そういう物は10年とか20年とかで無くなってしまう物ではないと思う。昔話とか神話とか、古くから伝わる面白い話って世界中に沢山あるけど、形式とか似た様な話が多い。それは、国とか人種とか関係なく人間の芯にある物を描こうとしているからじゃないかな。僕達の中にはずっと昔から沢山の人達が残して刻んで来た物がある。

自分の作品を見て面白いと思える物は、その作品からは自分自身の存在が透けて消えてしまっている様に感じる。自分の趣向とか具現化したい事とか、そういった自我からは本当に面白いと思える物は出て来ない気がする。そういうのを取り払った所で作品を作りたい。たまに、さっき言っていた通奏低音みたいな物に手が触れている感覚がある。自分で作ったはずのなのに、自分で作ったのではない様な感覚が面白いなと思う。
僕は現実の世界でも方向音痴なんだけど、絵を描く時でも、わざと自分自身が絵の中で迷子になる様に描いているんじゃないかと思う。描きながら紙を引っくり返したり、白と黒を反転して見てみたり、そうすると自分の思っていたのではない形が浮き出て来たりする。そういう事を繰り返していると、迷子になってしまう。今、この絵の中でどこにいるのかというのが分からなくなって、もんどりうって、あぁでもない、こうでもないってやってみる。そして最後に出口が見つかった時には、パッと見て面白い作品が出来ている。まぁ、もちろん迷子になったまま出られない時もあるんだけどね。

(*1) 1999年にオープンした神戸市中央区海岸通にあるギャラリー。イラストレーションの展覧会が多い。
(*2) Gallery Vie が主催する絵本とイラストの教室。
(*3) 1956年生まれの絵本作家。絵話塾で講師も務める。
(*4) 1961年生まれ。イラストレーター、画家として活躍。絵話塾で講師も務める。

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  1. 2014年 8月 09日

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