鈴木啓文

1966年生まれ。画家。彼程真直ぐな画家を僕は知らない。彼はいつもどこかで、スケッチブックを広げ鉛筆でその視線の先にある物を写している。クロッキーというごくシンプルな手法だ。彼はそれを30年以上続けている。大阪市内を自転車で走り回り、知り合いのお店から、取り壊されていくビルまで、あらゆる建造物を描き、電車内で通り過ぎて行く幾千もの知らない人を描く。僕は、彼がライブ会場ですらスケッチブックを広げ絵を描いていたのを知っている。

彼は世界をどんな風に見ているのか。ひょっとしたら、彼が見ている世界は線だけで構成されてはいないか。目の前を流れて行く景色や人は、彼の目によって切り取られ、鉛筆の線に絡めとられて、画用紙一枚分の確かな重みを持って、この世界に定着していく。彼が写し取った30余年分の世界の重みとはどのくらいなのだろうか、そして100年先の未来に残したいと思っている物はなんなのだろうか。話を一度ゆっくり聞いてみたいと思った。

一番始めの記憶について。仮面ライダー、ウルトラマン、そんな時代の事。

4歳の時の事です。5歳になりかけの4歳の頃だったと思うんですけど、夕刊のラテ欄に「新・仮面ライダー」というのを見つけて、自分でテレビを付けたのを覚えています。7時半の4チャンネル。毎日放送ですね。それからずっと仮面ライダーを見ていました。僕、1966年生まれで、ウルトラマンと同じ歳なんです。僕と同世代の人って、大体ウルトラマンか、仮面ライダーかで分かれるんですけど、僕は仮面ライダー派でした。どこかに出掛けても、出掛けた先で仮面ライダーを見ていました。とにかく、今では考えられないくらいに、全国的に流行っていました。他にも子供向けのテレビ番組も多かったですし、子供の数が多くて、今よりも子供の文化の比重が大きかったです。
絵を描く事を意識するのは、割と早かったと思います。仮面ライダーが好きで、絵を描くでしょ。すると、その絵を褒められる。絵を描いて誰かに見せて褒められたかった。おだてられて、木に登るじゃないですけど。仮面ライダーは、原作の漫画ではなくて、テレビでやってる実写の仮面ライダーが好きでした。漫画も流行ってましたけど、漫画のスッキリとした線ではなくて、テレビで見る、背景だとか色んな物がゴチャゴチャとしている線が好きだったんです。何か今と変わらないですね(笑)。ショッピングセンターとかでやっていたヒーローショウもよく見に行きました。
小学校3年で仮面ライダーが終わって、その後は宇宙戦艦ヤマト、スターウォーズです。ヤマトぐらいからプラモデルを作り出すんです。プラモデルを作っていると、このパーツはここに貼ったという様な記憶でカタチを覚えるんです。おかげで、今でもヤマトの絵を描けますよ。

絵なんて教えてもらわなくたって描ける。専門的な道に進む事をどうしても避けてしまう。

中学ぐらいまでは、漫画家みたいに、何も見ずに絵を描けるのが偉いと思っていて、自分もそうなりたいと思っていました。でも、例えばキャラクターを作って、それが動いているみたいに描くというのが凄く下手で苦手だったんです。空想で絵を描く事にすぐ限界を感じました。
中学の美術の時間で、真ん中にモデルになる人が居て、皆で周りをぐるっと囲んで絵を描くという事がありました。始めは、5分で描きましょうなんて言われても、全然描けないんですけど、何回かやるうちに段々と描ける様になってくるもので、それでクロッキーというか、そういう様な描き方を意識し始めました。その頃から、空想で頭の中にある世界をあまり信用してないんだと思います。中学からは美術部に入っていたし、絵を描くのは好きだったんですけど、画家になるとか専門的になるという事はずっと避けてきた気がします。絵なんて教えてもらわなくたって描けるじゃないかと、たかをくくっていた部分があります。高校進学の時に、友達が工芸高校に行ったりしていたけど、自分は嫌だなと思っていました。結局、高校でも美術部に入って油絵具まみれの生活になるんですけどね。それでも、やっぱり大学も文系の普通の大学に行きました。

大学に入ってから、2年と3年の間で留年をしていて、何となくむしゃくしゃしていました。その頃にギャラリーという物を知りました。自分もバイトをして、お金を貯めればこういう場所を借りられて、展覧会が出来るんだと思いました。所謂貸し画廊の文化です。一人で場所を借りるか、それが大変だなという時は、同士を募ってグループ展をやるとか、後は何とか会みたいなのに所属するか、それぐらいしか若い人達の活動する場がありませんでした。今みたいに、カフェで展示とかは無かったですし、雑貨屋みたいなのもないわけで、23歳から26歳ぐらいまで、そういう様な場所で展覧会をしていました。その後26歳から34歳ぐらいまで、活動をしばらく中断していました。人並みに就職してしまって忙しくなって、段ボールを作る会社に10年ぐらい居ました。

絵を描き続けてきたわけ。絵を描くのに一時間でも外に立てば面白い物が沢山見れる。

その10年は、なかなかきつかったです。絵を描くには描いていましたけど、最後は社内報の扉の絵を月に一枚描くぐらいしかしなくなってしまって、最終的には身体も壊してしまいました。絵を描く時間が有るか無いかというよりも、絵を描く時間を割こうと思わない事自体が問題だったんだと思います。それで、2000年に離婚して独りもんになって、一回チャラになって、また絵でも描こうかという気分になってきたんです。後輩を集めてグループ展をしたりとか、でも、今みたいな活動のスタイルになってきたのは、ここ5、6年ぐらいだと思います。
10年ぐらい活動を休んでいる間に、同世代の皆に抜かれてしまったと思っているんです。活動を再開して、そこに割って入る気分になれなかったんです。丁度、その頃に自分よりも若い世代の人達と出会う機会があって、大分変わったと思います。昔から、こういう風に行こう、という様にヴィジョンを持つ事を信用していなくて、バンと当たって出会った人に着いて行こうという感覚がありました。それで、自分よりも若い人にお世話になる機会が増えました。
高校の時の先生が、電車の中で人の絵を描いていて、絵が上手くなりたかったら、電車の中で絵を描くものなんだと思って自分も描き始めました。それを今でもやってるんです。それが当たり前なんだと思っていました。筋トレみたいに、ひたすら描いてきました。40歳を過ぎてからです。こんな風に、色んな人から声をかけてもらって、次はこんなテーマで描いてみませんか、とかそういう話を振ってもらう事が増えたのは。

絵を描いているというよりも、見た景色の何割かを出力している感じで、描くよりも見たいんです。1時間その前に立っている事が大事なんです。動物園で絵を描いているとよく分かります。人の動きがとても早く感じます。皆5秒ぐらいしか見ていない。パンダが向こうを向いている所しか見ずに去って行く親子がいます。あと5分待っていたら向こうを向いていたパンダがこっちに来たかも知れません。そういう事に絵を描きに来ている自分は気が付くけど、動物を見に来ているはずの親子が見ていなかったりします。絵を描くために一時間ぐらいでも、じっと外に立っていると、面白い物を沢山見る事が出来ます。そういう事が贅沢だと思っています。
反射神経を鈍らせない様にしたいと思っています。何かを見て、ふと「あ、描きたいな。」と思った時に、さっとスケッチブックを出して描く。段々と、ピンと来なくなってくるんです。でも描いてみたら面白いんです。描いてみたら、どんな物でも面白いんですよ。僕の場合は、ネタに困る事は無いわけで、自分の気分だけなんです。だから、描いた日を数えたりしています。何枚描いたかではなくて、描いた日が月に何日あるのか知っておくのです。自分自身がピークの時に描いていたペースを知っているから、これからも、なるべく描いていたいと思っています。

だから職業的に絵を描いているのとは違いますよね。一応描いた絵に値段も付けているし、それでお金を受け取る事もあります。でも、この間展覧会で何点か絵が売れて、そのお金で公共料金を支払ったら、何とも言えない嫌な気分になりました。それで生活をしている人であれば当たり前の事ですが、でも僕は嫌な気分でした。それで、その時に「あぁ、自分は絵で食って行きたいんじゃないんだ。」と改めて思いました。
お祭りのお神輿を作りたいんです。展覧会なんて、お神輿ぐらいの物でないと、誰も見に行きたいと思わないですよ。でも、そのお神輿を買う人は居ません。お神輿を見に行って、屋台でりんご飴を買うんです。りんご飴を売るコーナーもちゃんと作っておけば良いんですけどね(笑)。根本的に作って見せたいのは、お神輿であって、こーんな大きな張り子だったりするんです。

2000年代、儚い時代の、100年先の未来に残したいモノについて。

2000年代って儚いですよね。ケータイが変わるだけで、全部無くなったりしますよね。昔の手紙の方が残っていたりします。紙だったら残ってしまうんですけど、データだとついつい消してしまったりします。
何が残って欲しいですかね。いちいち手で描く文化って残りますかね?紙に描く人って減ってますよ。画材屋に置いてあるスケッチブックでも種類が減ってるぐらいです。そういう必要の無さそうな趣味というか文化みたいな物が残るんですかね?
基本的に絵を描いている時って、肯定的な気持ちで描いています。良い建物だなとか、壊される建物に、ちょっと待てよと思うとか、一つの意思表示みたいな物なんです。もっと物をよく見ようよ、と言うのに絵って有効なんじゃないか、と最近は少し思います。物体自体は儚い物かも知れませんけど、記録なり記憶なり、憶えていてもらえる物であったらなと、絵を描いて積み重ねています。

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