100年後の未来に残したいモノ

朝弘佳央理

 朝弘佳央理、彼女はこのインタビューシリーズでは初めてとなる、パフォーミング・アーツの分野で活動するアーティストだ。今年の2月、彼女が主宰するウェブマガジン「アパートメント」で連載を持つ事となったのが知り合ったきっかけだ。これまでにメールでのやりとりなどはしていたけれど、実際に顔を合わせるのは初めてで、どんな人だろうかと、少し緊張しながら雨の新宿へ向かった。
 実際に色々と話を聞いて、踊りという事が深く染み込んだ彼女のパーソナリティが、これまでインタビューを行ってきた、ほかのアーティスト達と随分違う事を興味深く思った。個人の身体を通してその一瞬一瞬に立ち現れる、決して保存する事も再生する事も出来ない、その踊るという行為から、彼女は一体どんなモノを未来に残したいと思うのだろうか。

幼い頃の記憶について。言葉を与えること、認識の境界にあること。

 それは凄くはっきりしています。一歳半の時の記憶です。作品にした事もあるぐらいで、私の中でとても重要な事なんです。家の近所にウサギ小屋があって、近くに住む年上の男の子とウサギの世話をしていました。うさぎが人参を食べているのを見ていて、その子が「あれは、だいだい色って言うんだよ。」と教えてくれました。それをはっきりと言葉で覚えられた事が凄く嬉しかったんです。でも、その瞬間まで、だいだい色というのを、私は違う形で認識していたと思うんです。言葉ではなくて、他のものと分けるために、何かしらの感覚だけで区別していたものに、初めて名前を教えられて、凄く嬉しかったと共に、今まで自分が認識していたのが何だったのかというのを忘れてしまいました。そういう名付けとか認識の境目みたいな事を覚えていて、踊りをする上でも私にはその体験が大事なものになっています。言葉で分類できない、喜怒哀楽だけでは示せない感覚が、確かにからだの中にはあって、それを何かしらの方法で分けて認識している。その貴重な体験の記憶です。

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(photo:Aya Hirakawa)

 小さい頃はよく男の子に見られていました。そして自分でも男の子に見られるというのを分かっていました。大人になればお化粧もするし、顔つきや体つきも変わってくるし、女性にしか見えないのは分かっているのに、未だに初対面の人が私の事を男と思うんじゃないかという刷り込みがあるぐらいです。小さい時から、女の子に接する時の方が緊張します。実際の自分のからだと、感覚の中にある自分のからだの認識がずれているように感じていました。
 そんなずれと関わりがあるのだと思いますが、ある時まで、自分は運動が出来ないと思い込んでいました。誰も自分の事なんて見てないだろうけど、真剣に走ったりする姿が恥ずかしくて、ずっとヘラヘラしながら走っていました。でも、ある時真剣に走ってみたら足が速いという事に気が付きました。それから、筋力もあるしジャンプ力もあるし、女の子の枠を飛び越えちゃうくらいに、身体能力が優れているというのに気付きました。体が柔らかいというのにも突然気が付いたし、頭とからだが繋がっていなかったのか、ただ鈍感だけだったのか分からないですけど、何事も頭の切り換えで全部が変わったように思います。
 今でも、私は自分の事が世界で一番不思議で、からだの中には言葉にしたりからだで翻訳出来ない感覚がいっぱいあって、からだって自分のものであるけど、不確かで遠くに在るように感じます。でも、踊っている時には、そんな自分のからだをしっかりと自分のものとして掴んでいられるのです。地球の芯に自分の根っこが繋がっているような感覚です。ずっと感じていたずれっていうのは、踊る中で感じる事の出来る確かな自分を見つけるまでの、過渡期にあったものなのかなぁと、今ではそんな風に思います。その頃はサーカスに入りたいと思って、バク転の練習をしたり草むらを忍者みたいに飛び越えたり、黙々と自分の身体能力を高める訓練をしていました。

 自分では、あまり分からなかったですけど、思い込みが激しくて変な行動をしたり、よく母親に心配されていました。「スパゲッティの麺が欲しいからお使いに行ってきて。」と言われて、レストランの厨房に入っていって「スパゲッティの麺を下さい。」って言ったりとか。私が将来変な人って思われて困らないようにと、小さい頃から凄く言われていました。だから私も、ずっと「普通にしなくちゃ、普通にしなくちゃ。」と思っていました。でも成長していくうちに、個性的でありたいと思う時期もあるじゃないですか。そこで「なんだ、私って全然変わってないし、平凡じゃん。」と思って、それが何となくコンプレックスでもあったんです。
 勉強も好きでした。勉強が好きというよりは、ノートが埋まっていったり、消しゴムのカスが溜まっていくのが楽しかったんですね。周りからは、勉強好きと思われていたでしょうけど、私は鉛筆が減っていってドリルが溜まっていくのが好きでした。そう言えば、トイレ新聞というのを家で発行していた事もあります。こういうのって、今のアパートメントにも繋がっている事ですね。

からだの形から生まれる感覚。人間の普遍性。

 高校では、器械体操部のある高校を選んで入ったんですけど、途中で踊りを知って、部活にはあまり熱を入れなくなりました。スーパーダンシングチームという、学園祭の時だけ集まる有志団体があって、私も憧れて参加するようになりました。OBの中には結構有名なダンサーの方とかも居て、教えに来てくれたりしていて、そこでお芝居と踊りに出会いました。大学時代には、自分で劇団を作ったりもしていました。役者になりたいとかというよりも、舞台の上で何かを演じるのが好きでした。自分が舞台に立って誰かを喜ばせる事が出来るのが嬉しいっていう単純な気持ちでやっていました。それから、お芝居は年を取ってからでも出来るだろうけど、ダンスは若いうちしか出来ないだろうと思って、暫くはダンスに専念する事にしました。

 踊りに専念してしまっていてちゃんと勉強しなかったので、もったいないなぁと思うんですけど、大学では文化人類学をやっていました。物語を読むのが好きで、神話とか民族の事を知りたいと思いました。世界中の色々な地域の神話が似ていたり宗教みたいな事にも繋がる、人間の持つ普遍性に興味があったんです。同じ人間としてのからだを持っていて、どこか意識が共通している。からだって同じシステムで動くでしょう。誰かが動いていると、自分のからだもそれと同じように動く。踊るからだを見てからだの内部の何かが動くという事があります。例えば赤ちゃんがお母さんの笑顔から笑う事を覚えていくように、表情を真似ていくうちに、感情がついてくるというみたいな。表情って自分の内部から出てくるだけでなくて、誰か相手が居てコミュニケーションの一つの発露としてあるのではないでしょうか。それと同じように、からだの形によって芽生える感覚があると思います。踊りって、そこに何も悲しみがなくても、例えば追いかけたいというような動作をすると、切ない気持ちになる。本当は切なくも何ともないのに、そういうからだの形をしたら、そこに感情が芽生えるんです。そして、それは自分がそういう動きをした時だけでなく、目の前に居る人が何か動きをした時に、自分の中にある動きの記憶から共感が生まれたりもします。からだ同士が響く事で、何かが伝わる。そういう事と人間の中の普遍性、色んな神話の共通する物語って、どこか繋がっている気がします。同じからだを持っていて、同じシステムを持っているから生まれる、共通の思考みたいなのがあるんじゃないかと思います。

 大学を卒業してからは、ダンススタジオに就職して踊りを教えたり、その後少し大きなダンスカンパニーに所属していた事もあります。それでも、他の事も同じかもしれませんが、なかなか舞台だけで生活をしていくのは難しいです。ヨーロッパのカンパニーに入りたくて各地のオーディションを周った事もありました。震災後に始めたアパートメントも3年になります。今の時代、震災後は特に、アーティストも自分の表現だけを考えていれば良いというような時代ではないと思うんです。社会と表現、地域と表現をどう繋げて行けば良いだろうかと考えてしまいます。

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(photo:Boizel Roger)

100年後の未来に残したいモノについて。

 踊りをやってきたから、つい踊りの事を考えてしまうんですけど、踊りってからだがなくなってしまうと何も残らない。写真のようには再現できない。なんだろう。何を残したいかな。どういう時代になっているのかなって、まず考えてしまいます。あんまり、これから先の時代に希望を持てないんです。神話とか昔話って残って欲しいです。昔の人の事っていうだけでなくて、人間っていうものがどういうものであるか、自分自身がどういうものであるかという事を伝えてくれる気がします。人間が何かをやって来た事の痕跡が希望になれば良いなと思います。
 多分廃れないとは思うけど、人が直に伝えようとするものは無くなって欲しくないです。いつどんな時代でもその時に、歌が伝わっていくとか子供に何かが伝わっていくとか、教えられるものでなくても、からだが動く事とか。ようは、そこに人間が居て欲しい。今の私たちと繋がる何かが生きていて、何かいろんな事を感じていると良いなと思います。絵が残ってほしいとかっていうのではなくて、そこに絵を描きたいって思う人が居て欲しいです。

Матрёшка from RACHI SHINYA on Vimeo.

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  1. 2014年 8月 09日
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