100年後の未来に残したいモノ

原康浩

1983年生まれ。画家。彼は、抽象画と呼ばれるタイプの絵を描いている。近年では絵の具を十字に幾重にも重ねて描いた「crossing」という一連の作品群がある。暖かい光に包まれている様な、自分の体が小さくなって、光の粒子一つ一つを見ている様な、そんな印象的な作品だ。その作品の前に立つと祈りにも似た、とても静かな気持ちになる。

7、8年前ぐらいだったか、彼の絵を初めて見た時は、もっと全然違った印象を抱いていた。もっと分かりやすいエネルギッシュな、カラフルでゴチャゴチャとした絵で、雑な感覚で捉えると”大阪”らしいアーティストだと思っていた。それ以来、ずっと彼の事は気になっていて、「crossing」を発表しだした頃からは一層気になりだして、機会があれば話を聞きたいと思っていた。今回、彼がアトリエを広く公開するというので、そのアトリエにお邪魔して話を聞いてみた。

”記憶”について考えてみる。覚えている事とそうでない事の違い。

自分の顔を自分で上から見ているという記憶です。一歳とかそんな頃の事だと思います。でもよく考えれば、それは、どこかですり替わっている記憶なのかもしれません。自分で実際に見たと思っている物も、実は写真を見て覚えていて、それを記憶だと勘違いしているのかもしれないです。
子供の頃の記憶って全然ないんですよ。コミュニケーションを取るのが苦手だったし、友達も少なかったです。幼稚園、小学校、中学校と友達が少なくて、家族以外に記憶を共有出来る人が居ないとなると、やっぱり忘れていくんです。どんどん忘れていく。大阪に出て来て、バイトをしだして、そこで仲の良い友達が出来て、そうすると、その頃の事は色々覚えているんです。10年前の事でもよく覚えています。

イラストレーションから抽象画へ、路上からアトリエへ。

小さい頃から、ずっと絵を描くのは好きで、ポップなイラストを描いていました。漫画家になりたいと思っていました。高校を途中で辞めて17歳から19歳まで、中崎町のアニメーションの学校でイラストを描いていました。高校を卒業していなくても行ける学校で、始めは神戸の実家から通って、途中からは大阪に引っ越してバイトしながら通っていました。
学校を卒業したら、何もする事が無くて、どうしようかと思っていました。その頃イラストレーターの326(ミツル)とかが少し流行っていて、ミーハーですけど、こんな活動の仕方があるのかと思って、路上で自分の描いたイラストのポストカードを売り始めました。当時、ポストカードもそこそこ売れて、一日でそれなりに良い稼ぎでした。路上で活動しているアーティストが結構居て、そこで絵を売るだけで生活していた人も居たし、そこから有名になっていった人も居ました。そういう時代だったんです。
路上で活動していた頃に、同じ様に路上で活動していて、出合った友達が居て、その子からは随分影響を受けました。絵画展も色々と見にいく様になって、そうすると何となく自分の描いているイラストが薄っぺらいなと思うようになってきました。ある時、何かのきっかけで兵庫県立美術館の「具体」回顧展を見に行って、完全に打ちのめされました。作品の意味なんて分からなかったけど、とにかくそのエネルギーとか、本当に凄くて、作品の前で立っていられなかったんです。
そんな風にして、イラストを描いていた時には、路上でポストカードを売ってそれなりにお客さんもついていたんですけど、だんだんと抽象的な絵を描く様になっていって、そしたらやっぱり、ポストカードも売れなくなっていきました。それから、何を描いて良いか分からずモヤモヤとしながらも、カフェで展覧会をやり始めました。
展覧会をいくつかやって描いていく中で、少しは自分が描いているものが分かってきた様に思います。いつも絵を描く時は、手が先に動き始めて、そうやって出て来たイメージを見ながら、意味を考えたり、作品を作り上げていきます。

昔は、溜まってきたエネルギーを放出して絵を描いていた様な時期もあったんですけど、最近は少し変わってきました。この間結婚をして、絵に向かう気持ちも何か変わりました。もう、バイトをしてやっていく気もないし、開き直ったというか、とにかく絵で食べていきたいと思っています。絵を描いて、作品を売っていくというのも、もちろんそうなんですけど、こんな絵を描いていながら、心のどこかで、またイラストレーションを描きたいなとも思っているんです。バランスを取りながら、とにかく制作をしっかりしたい。そう思って毎日アトリエに来ています。
他に仕事をしながらでも絵を描ければ、それはそれで良いんですけど、僕はそれが出来ないんです。他の仕事に行くと、そこで本気でやってしまって、そうすると、絵の方が見えなくなってしまいます。だから今は制作をしっかりしたいと思っています。
路上で活動していた時も、昔からそうだったんですけど、どこか楽観的に考えている所があります。とりあえずやってみて、それで出合ったものに反応したいと思って、今回こんな風にとりあえず、アトリエを公開してみています。絶対大丈夫だという、根拠の無い自信があって、それをちゃんと信じてアンテナを張ってやっていこうと思っています。そうする事でそれなりの答えが見つかるんじゃないかと思います。
既存のギャラリーとか美術館とか、そういう所にも繋がりつつ、自分の出来る範囲の事は自分で発信していきたいです。そうやって現代美術だけではなくて、いろんな事の狭間に居たいと思っています。中崎町のような場所でアトリエを持って、制作をして公開もして、やっぱり街の人たちに見てもらいたいです。ただそういう時に、ハードルを下げるんじゃなくて、コミュニケーションを取って、手を取って引っ張り上げるぐらいにならないといけないと思います。表現や芸術は見る側の意識や思考を飛躍させるべきものだと思います。

100年後の未来に、せめて、痕跡ぐらいは残っているだろうか。

結構排他的な考えもあって、無くなってしまえば良いと思うことも多いですけど、あえて言うなら、何でしょう。
僕、痕跡って好きなんですよ。全部は残っていなくても良くて、少しでも何かが残っている、そういうのが良いなと思います。この辺りで、工事をしてアスファルトを剥がした時に覗いているレンガとか、長屋の土壁にチラッと見えるタイルとか、そういうのが面白いなと思います。道路の継ぎ目のちょっとした段差とか、そこに何かあったであろう記憶、情報、そういうのが残っていて欲しいです。大阪に最近出来たグランフロントみたいに、大規模な再開発で一気に新しくなってしまうのは、どうかと思ってしまいます。

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  1. 2014年 8月 09日
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