memorandum / 古橋悌二

投資家業と、アート、音楽に関わる仕事をする事、それは今の僕にとって生活の両輪だと思っている。どちらも繋がっているし、突き詰めれば本質は同じものではないかと、今はまだぼんやりとだけど、そういう確かな想いがある。でも、やはりどこかで絶妙なバランスを取りながらやっていかないと、たちまちどこか奥深い闇へ転落しそうになる。どこかでバランスを取る為に時々読んでいる本がある。

Dumb Type というグループを知ったのは、確か大学生の時だったと思う。だから、それは恐らく2000年とか2001年とかその辺りの時期だ。当時、自分でも音楽をやっていて音楽+映像+照明+ライブペインティングという様なユニットを組んでパフォーマンスをしたりしていた事もあって、何かの雑誌のレビューで観たDumb Type のDVD作品「memorandum」を手に取った。映像と音、それにダンスと言うべきか演劇というべきか、それらの組み合わさったパフォーマンスのクォリティは圧倒的で、繰り返しそのDVDを観た。光と音、それに身体が極めて高次元でシンクロしていて、脳が未知の刺激を受け覚醒して行くようだった。この「memorandum」というパフォーマンスは1999年に発表され、その後もヨーロッパ各地やアメリカ、日本でも度々公演されている。

そのDumb Typeで衝撃を受け、彼らの来歴を知り、ある一人のアーティストの存在が気になり始めた。古橋悌二、1960年生まれ「Dumb Type」の中心人物として活躍し、1995年HIV感染による免疫不全、敗血症で亡くなっている。35歳という若さだ。僕が、Dumb Typeを知った時には既に彼はそこには居なかったのだ。中心人物を失って、それでもあの圧倒的なクォリティの作品を生み出す事ができたDumb Type、そのグループのDNAに確かに存在を刻んだであろう古橋悌二という人物が一体どんな人物だったのか。僕は、DVDと同タイトルの「memorandum / teiji furuhasji」という一冊の本を繰り返し読んだ。

この本には、展覧会や劇団の公演等のパンフレットに寄稿された文章、ノートに記された短いエッセイ、インタビューや対談など、過去に彼が残した言葉がまとめれている。そして、この本の中には彼がHIV感染を友人達に知らせた手紙も公開されている。

「死というすべての人間にとって唯一の現実をポケットにしまいながら、今までの私は何が現実で何が非現実かはっきりしないまま彷徨っていた。芸術表現というありとあらゆる非現実の複合体の最大限の創造をもってぎりぎり私はこのポケットの中の現実の重みに耐える事が出来る。
ある細胞が私の肉体を守ってくれている。ならば私の精神を守ってくれているのは創造力と愛だと思う。私の細胞がVIRUSを許容しているように、私は想像力と愛であらゆる人を許容したい。」(memorandum「#2 letters」より)

また、彼はアートや芸術がこの世界で有効な表現活動なのかという事を何度も彼自身に問うている。そして、こんな風に書き記している。

「我々現代社会を生きる人間にとって冒されざるを得ない精神の病巣を治療する手段としてアートはやはり、有効な手段と成りえるのだ。人間の精神に影響を与えるものの中の最も公平な手段として、私の選択に間違いはなかったのだと信じたい。そしてこれに従事していられる自分を幸せに思うし、一緒に何かを創ってくれる友人をもって本当にありがたく思う。」(memorandum「#2 letters」より)

生と死の狭間で、芸術と愛を信じた彼が残した言葉はとても胸に迫るものがある。僕はその彼のギリギリの言葉に幾度となく救われてきた。そして勇気をもらい、何とか、彼の恐らく10分の1程の速度で歩みを前へと進める。

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