ハン・ユン・リャン from 香美 (高知)

タイトル : I’m here… #09
場所 : 香美, 高知
撮影日 : 9th/Oct./2020
ゲスト : ハン・ユン・リャン


台湾出身のアーティスト、ハン・ユン・リャン。彼女は、2017年から高知県の深い山間の集落にある、陶芸家の小野哲平氏のアトリエで作陶の修行をしている。自分の故郷から遠く離れた場所で、暮らしそして制作に打ち込む彼女が、このコロナ禍でどんな事を想っていたのか、話を聞いてみたくなった。取材の日は、季節外れの台風接近で、雨と風を気にしながら高知へと車を走らせた。

どのように生きて、そして死んでいくのか、それをどのように表現するのか考えています。作品を通して、どう他の人に関わっていく事が出来るのか、そう考え始めたばかりで、今はまだその過程にあると思っています。

– 今年のこのコロナ禍、ここではどんな生活をしていましたか?

2017年に日本に来てから、ずっとこの場所で暮らしています。山間にあって、周りは木と森と自然しかないような場所です。日本で他の場所で暮らした事もないし、コロナ禍でも変わらずこの場所で暮らしています。ここでは、コロナ禍でもあまり大きな変化はありません。日用品を買うために、一週間か二週間に一度街に下ります。その時に皆がマスクをしていたり、お店のカウンターに透明の仕切りが設置されたりしているのは感じるけど、ここでの暮らしにあまり変わりはありません。頻繁に街に出かける訳ではありませんが、ただ、お年寄りが多い場所だから、いつもよりは少し距離をとって話したり、気をつけないといけないなと思っています。

– あなたは今、故郷を離れて暮らしていて、その事で何か不安に感じる事はありますか?

台湾だけでなく、世界中のニュースをみますが、台湾では、コロナに対しては比較的に良く対処されていると思います。日本もそうです。皆、人とある程度距離を取って生活したりマスクをしたり、それなりに上手く行っていると思います。それでも、家族は心配しています。母からは、何か必要な物はないかとメールが届きます。結局の所、メディアによって私たちは真実の一部を見てはいるだろうけど、でも本当の所どうなのかというのは、誰にも分かりません。台湾の友達は皆、ほとんど普段通りに生活しているように感じます。

– 緊急事態宣言が明けて、5月に展覧会を開催していましたが、その時どんな事を考えていましたか。

私は、ずっとここに住んでいて、展覧会をするには、飛行機に乗って、電車に乗って、大阪に行かなくてはなりません。さらにホテルにも、滞在しなくてはなりません。パンデミックがどれだけ酷いものなのか、どうすれば防げるのか、本当のところが分からず、不安には思いました。大阪に着いて、食事に行くと、周りにはマスクをしていない人がいたり、あまり気にしていない人もいましたが、私はとても緊張していました。

私の日本での初めての個展でとても嬉しかった反面、もし誰かがコロナに感染していて、展覧会でそれが広がってしまったらどうしようと怖くもありました。

– 何か心境の変化や、創作に関して影響はありましたか?

周囲の環境に大きな変化はないけど、ニュースを見ていると、パンデミックで世界は深刻な状況になっています。それには私自身も影響を受けていると思います。作品を通じて何を伝えたいのか、以前よりも考えないといけないなと感じています。

以前は、自分の為に作品を作っていたところがあります。私自身、自分の作った作品の最初の鑑賞者だという感じでした。そしてその気持ちを他の人とも共有出来ればと、ただそう思っていました。でも、コロナ禍で状況が悪くなっていくにつれて、だんだんと私は世界の為に何ができるだろう、皆の為に何が出来るだろうと考えはじめました。どのように生きて、そして死んでいくのか、それをどのように表現するのか考えています。私の作品を通して、どう他の人に関わっていく事が出来るのか、そう考え始めたばかりで、今はまだその過程にあると思っています。

– どうして、そのような変化起こったのでしょうか?

ニュースを読んでいると、時々辛くなってしまいます。今、例えこのパンデミックという状況がなかったとしても、多くの災害で、多くの生命が失われています。今年は本当に沢山の悪い事が一度にやってきたように感じます。そういう悲しみが何か影響しているように思います。

これまで、何かを作る時は始めに、こういうモノを作りたいというイメージがありました。今はもっと抽象的だし、もっとシンプルな形になっています。以前は、イメージや私自身の想いを膨らませて作品を作っていましたが、最近は作品に自分自身を反映させたいとは思わなくなっています。作品自らが意味を持ち、形が成長していくようになればと思っています。私の手から少し離れて、自分の意図とは離れた所で生まれるシンプルなものになれば良いなと思っています。

一つ、とても個人的に記憶に残っている事があります。私が7歳か8歳、まだとても小さいの頃の事です。私は池に落ちてしまいました。水の中で私はとても大きな魚を見ました。そして、その魚は私を見て微笑んでいたのです。私はすぐに父に抱え上げられて無事でした。少し可笑しな話ですが、この記憶はいつも私の中にありました。成長していく中で、大学院に入った後ぐらいだったと思いますが、ある時にこの記憶がまた蘇ってきました。そして、何故この記憶がいつも私の中にあるのか考え始めました。もし、父があの時私を抱え上げられなかったら、きっと私は死んでいました。そして、あの時見た魚はどんな意味があったのだろう。生きていくことの本当の意味とは何か。

死のイメージはとても強いものです。今のパンデミックで、また私はこのテーマを探ってみたいと思っています。はっきりとしたモノをまだ掴めている訳ではないですが、何か、繋がりがあるように感じています。幼い頃のあの記憶と繋がる何かがあるように思います。

– ギャラリーや展覧会、アートシーンのこれからの変化について、どう考えていますか?

いくつか大きな美術館のインスタグラムをフォローしていますが、彼らは、このパンデミックが一体どういうものなのかという事を、来場者と共に考えようとしています。オンラインで予約をしてから行くようになったり、作品と作品の距離をとるようになったり、展示の仕方に変化が生まれています。ただ、美術館に来たお客さんの反応や、作品と観賞者の間の相互作用には変化が生まれるかもしれませんが、アートそれ自体、アートの本質的な部分が変わるわけではないと思います。

日本語訳 : 吉田航


自己と他者、その存在を分かつのは細胞壁で、普段はその隔たりを疑ったりしない。僕は僕で、あなたはあなた。そして、ウィルスは僕ではない。でも、深い山に囲まれた、あの彼女のアトリエを思い出す時、僕は確かに自然のほんの一部だったと実感する。インタビューの間、時折激しくなる雨音に、自分という存在の境界が滲んでいく様だった。そして僕は、彼女が幼い頃に池の中で見たという、大きな魚の存在を微かに感じていた。


PROFILE : ハン・ユン・リャン

1987年台湾高雄生まれ。台湾交通大学応用芸術大学院視覚伝達デザイン学部卒業。その後、ニューヨークのPratt Institute、ヘルシンキのAalto University School of Artsでデザインを学ぶ。その後2017年に来日し、高知県香美市で陶芸家小野哲平氏の弟子になる。2020年には日本でも、初の個展を開催し多くの作品を発表している。また、TTYLのメンバーとして、多くのZineも制作、発表している。

https://www.hanyunliang.com/

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