moogabooga from 清瀬(東京)

タイトル : I’m here… #08
場所 : 清瀬 (東京)
撮影日 : 1st/Oct./2020
ゲスト : moogabooga


covid-19 突然目の前に現れた、ウィルスという見えない他者に対して私たちの自己はどう振る舞い反応したのか。様々なアーティスト達の言葉を聞いていると、人間の生きる喜びの本質みたいな物が立ち上がってくる瞬間がある。モノに魂を宿すアニメーションを生業とするmoogaboogaの二人が、今どのように暮らしどのように制作を行っているのか。そこに、とても興味を惹かれた。そして、このコロナ禍で拠点を京都から東京へ移した彼らのもとを訪ねてみる事にした。

それぞれの場所だけど、窓が空いていたら同じ風がその場所を通っていくというような事を表現したい。

– 4月の緊急事態宣言が出た頃の事を少し振り返ってみて、どんな状況だっただろうか?

: すでに、緊急事態宣言が出る前には、5月のゴールデンウィーク明けに引越しする事を決めていた。それまで、3月4月と東京で単身赴任だったけど、時々京都に帰りながら引越しの準備をしようとしていた。だけど、コロナで東京から動けなくなってしまって、結局一度も帰ることなく引越した。

文子: 3月いっぱいは保育園があったけど、4月は引越し準備が大半を占めていた。計画では、引越して5月には保育園に通える様に手続きをしていたけど、コロナで自宅保育になった。結局4月5月は丸々保育園には行けなかった。ただ、もともと引越しがあったから、4月はコロナがなくても自宅保育の予定だったし、比較的コロナには振り回されなかった。

: こっちに引っ越してきてから保育園に行けなくなったというのもあって、5月から制作に入る予定だった物があったけど、1ヶ月納品をずらしてもらった。子供がいると、二人いたとしても制作は出来ない。2ヶ月間会えてなかったから、5月はずっと遊んでた。

– その頃の周囲の様子はどんな感じだっただろうか?

: 仕事もこもってやってたし、ここに引っ越してからも、普段からほとんど外に出ないで良い仕事だから、あまり変化がない。

文子: 京都の方がいわゆる都会で、ちょっとピリピリした雰囲気があった気がする。こっちの方がのんびりしていた。

: コロナで、アニメーターとしての仕事は2つ3つぐらいは飛んだけど、あまり関係なかった気がする。京都に住んでいた時は、1日2日でもよく東京で撮影したり、単身赴任でも仕事にきていた。今京都に住んでいたら、移動のリスクを考えたりすると、それがやりにくくなっていたと思う。東京に今住んでいるからできる仕事が沢山あると感じている。

– アニメの業界としてはどういう状況なのだろうか?

: 自粛期間中に、人形とかでコマ撮りしたものをSNSでアップするという人が増えている。そういう事もあって、コマ撮りのアニメを見る機会が増えている。それに伴って、アニメの仕事も増えてきつつあるように感じる。

文子: 元々、アニメの業界って需要の波があるみたいで、その波がたまた来てるだけかもしれないけど、それでもコマ撮りのアニメをよく見かけるなと思う。家に居る時間をみんな持て余してるのかな。スマホでもアプリがあって、手軽にできる様になった。それでちょっとやってみると言う人が増えている。

私たちがアニメをやり始めた時と比べると、撮影環境、編集環境がだいぶ違っている。フィルムから、デジタルになった時と同じぐらいの変化が起きている。アニメ制作用のソフトもできて、昔だとシーンをある程度撮り終えないと動きが確認出来なかったものが、今だと一コマ一コマ確認しながら制作できる。

: だから、コマ撮り自体は誰でも出来るし、自分が作った物が動けばそれなりに感動がある。その分人形が生きているように見せるにはどうすれば良いのか。演技の質とか、動きの質とかは余計に深く考えるようになったかもしれない。

アニメーターとして仕事で関わる物は、大勢の人が見るような物が多い。丁寧な動きをしてちゃんとした演技が求められる。それは、その映像がコマ撮りだと意識させずに、ドラマとして話が伝わるのが一番良くて、、、一方で、僕たち二人でやっているのは、コマ撮りと言うのを意識させる、無理やり引っ張り込むような、現実の世界にはない違和感を入れ込もうとしている。そこが、アニメートする時に一番苦労するところ。丁寧にやれば、綺麗に動く。慣れればそれは出来るようになる。子供の絵が素晴らしいと思うのと同じように、拙いコマ撮りの動きが素晴らしいと思ったりする。

文子: 動かす人で、その動きが全然違ってくる。私たちは拙い動きが、好きというのもある。マジックと言うか、魔法が生まれると言うか。

: 魔法っていうと綺麗なんだよね。魔術かな。

– コロナ禍で始めた事はあるだろうか?

: NHKの仕事とかはやっていたけど、自主制作ができていなかった。時間がちょっとあるから自主制作に取り組み始めている。

文子: 自主制作は凄く長い期間温めてはいた。それを構築する時間と話し合いをする時間が出来た。

: 引っ越しもして、落ち着いて制作出来る環境が出来た。今、制作出来ていないけど、”モノだらけ(*注1)”はmoogaboogaの本質的なテーマを作品にしていた。普通のキャラクターアニメーションではなく、モノ自体を動かす事に意味がある。モノに魂を宿すとか。今、自主制作でやろうとしている事も、その延長線上にはあるけど、コロナのことがあって、少し変わったかもしれない。

元々、その自主制作の作品は、能楽の世界観をイメージしていたり、舞台の上にキャラクターが一人で立って何かをするという話だったけど、舞台以外にも小屋があって、それぞれのキャラクターがいるという設定に変わった。

小屋の設定っていうのは、自粛期間で皆家から出られなくなって、それぞれが家に居て、外で会えないっていうところから来ているかもしれない。

文子: それぞれの場所だけど、窓が空いていたら同じ風がその場所を通っていくというような事を表現したいというか。

(*注2)ケのニの展示をした時に、私たち親子三人で展示部屋に泊まって、窓が空いていて、どこに抜けて行くのは分からないけど、すごく良い風が吹いていた。作品たちと寝ていて、良い風が吹いていた。カイコウ(邂逅)というタイトルで、展覧会のイメージとしては、旅をしていて何かとたまたま出会うみたいな意味で。そして、何かが、風に乗っていく様な感じがして、私はそこでお願い事をして、それが叶った。そんなイメージが残っていた。

: 神様みたいなものが曖昧で分からない。神様に何かを祈るよりも自分が手を使って生み出したものの方が確かで、そこで祈った方が神様に祈るよりも、自分にとっては腑に落ちる。

人形を作って動かすって、それは本来存在しないモノ。コップも生きていないし、人形も生きていない。映像の中だけで、動いて生きているような感じになっている。それって、その映像の世界では、自分が神様みたいな感じになっている。でも、そういう思いは僕自身全く無い。けれど、モノに命を与えていると思うと、何をやっているんだろうと分からなくなる。そこで動き出したモノっていうのは、僕が命を与えて動かしたモノだし、でも、僕が神様というよりも、作り出したモノの方が神様に近い存在で。だから、作り出したモノに、逆に畏敬の念がある。

一人でも自主制作を始めていて、アトリエに転がっているような、中途半端な材料を使って、映像の中で、人形を作る所からコマ撮りしていって、動かして命を与えて、壊すところまでを残すのをシリーズにしようと思っている。それは、アニメ用に作られた人形の、撮影が終わった後の佇まいが苦手で。撮影が終わればいらないモノになってしまって、それをどうしようかと思っていた。作るところから、動かして、壊すところまで、責任を持つという行為をしたかった。

二人でやっている自主制作もそうで、ちょっとずつ思ってきたものの蓄積が、今出てきているということだと思う。

*注1 NHK Eテレのプチプチアニメの枠で2014年から制作されているショートアニメーション。
*注2 2017年月夜と少年のアトリエ展示室で行われた、高野文子と坂本ミンによる、ユニット「ケのニ」よる展覧会


前日まで、山梨の山間の集落で取材をし、この日は宿泊地の横浜からmoogaboogaの二人が暮らす清瀬へ向かった。1時間半ほどの電車移動は、随分遠くに感じられた。清瀬は埼玉と東京の県境に位置する場所にあるから、東京でも端の端なのだけれど、それでも東京は広いなと感じた。インタビューを終えて、散歩中に住宅街に突然現れた鬱蒼とした林とその向こうに広がる広大な畑。そして野菜の無人販売所。東京にもこんな場所があったのかと驚いた。そして、そこは良い風が通りそうな場所だなと思った。


PROFILE

moogabooga:高野真と高野文子によるアニメーションユニット。”暮らしの中の想像力”をテーマにアニメーションを制作する。手作業から生まれる図工的でローファイな制作手法を得意とし、ディレクションから人形製作・アニメーション撮影・編集まで、アニメーションにまつわる様々な創作活動を行う。

https://moogabooga.net/

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