小野環 from 尾道 (広島)

タイトル : I’m here… #10
場所 : 尾道, 広島
撮影日 : 10&11th/Oct./2020
ゲスト : 小野環


このインタビューのシリーズを始めておよそ一年が経った。その間に、緊急事態宣言の発令、解除、そして2021年の4月に再度発令という、なかなか落ち着かない状況が続いている。この小野環氏のインタビューは2020年の10月に収録していたのだが、僕自身が引っ越しをし、活動の拠点を移した事も重なり、公開までに半年以上が経過してしまった。

台風が過ぎ去って、10月にしてはとても暑い一日、小野氏が勤める大学のアトリエで話を聞き、そして尾道の斜面地を縫うように広がる、細い路地を一緒に歩いた。

対人仕事ではない、物と対峙して絵を描くっていう対物仕事に、すごく時間を割きました。ものすごくシンプルな生活。意外と面白いというか、独特の孤立した充実みたいなのがあって、その時間は良かったです。

– 2020年の4月、初めて緊急事態宣言がでた辺りの事を聞かせてください

アーティストとしての活動以外に、大学でも仕事をしているのでバタバタしていました。普段は実技を対面で教えていたのが、4月の早い段階で全部リモートでやるという流れになっていました。だから、それぞれに孤立した状況で、自宅で制作するみたいな環境でスタートしました。

ひょっとしたら大学に入れなくなるかもしれないという危機感があって、画材とかシンプルな物を自宅に持ち帰って、仮に一歩も家から出れなくても、何かしら出来るコンディションを作ろうと思いました。普段は大学のスタジオで全部やってしまいますが、家の一角にスペースを作って、本当に引き篭もりました。ゴールデンウィーク中は、本当に家から出ない生活をして、制作をしていました。

普段は、いろいろなプロジェクトベースで、アーティストに会ったり、大学の仕事もありますし、それで動く事が多いですが、その間はひたすら、対人仕事ではない、物と対峙して絵を描くっていう、対物仕事にすごく時間を割きました。ものすごくシンプルな生活。意外と面白いというか、独特の孤立した充実みたいなのがあって、その時間は良かったです。普通の社会の関わりや足場みたいなのが外されていって、シンプルになって、隠居みたいな生活。何もしなくて良いって言われても、人間は何かしらするわけですけど、その状態っていうのは決して悪くないなと思いました。経済の問題はありますけど、メンタル的には生きれると思いました。

絵を描くって、物があって、それをどう観察して、どう発見していくのか、手元にある道具をどう操って、自分なりに納得のいく形に置き換える事が出来るのか。そういうちょっと微妙な、デリケートな作業に集中できてよかったです。それまでとのコントラストがあったから余計にそう感じたのかもしれないですが。

– 絵を集中して描く環境の中でどのような事を考えていたのでしょうか?

1日に10時間絵を描くって普段はあまりやりません。対峙する時間を取れたというのは奇跡的で、普段はぶった斬られた細切れの時間の中で、絵を描いたりとか、瞬発力で向かっていました。絵を描いているプロセスで、自分の絵を見る時間、それもお茶を飲みながら見るみたいな時間ってあっただろうかと思い返しました。久しぶりの時間のように感じました。高校の時に、2時間3時間絵を描いているって長い時間に感じる事がありました。これだけをやっているみたいな。なんかその感覚にちょっと似ているように思いました。

それ以降ってもうちょっと、制作っていう事柄自体が、外的な事にまみれていく。発表があったりとか、作品についての講評があったりとか、プロジェクト関係で動いていくとか、そう言う関係性の中で制作の場がありました。周りが関係ない状況、例えば高校生が絵を描くって、社会とか周りは関係ないじゃないですか。とりあえず、目の前で何かやるという事が第一にあって、まずそれをやるという感覚。絵を描く事ってプライベートな領域で出来てしまうと思いました。プロジェクトとかインスタレーションの作品を作ろうと思った時に、展示場所を意識していたりとか、着地地点を長いスパンで想定して、逆算するようなところがあります。それが、絵画の場合はあまり必要なくて、手元に1枚板があって、何か材料があれば、向き合えてしまう。それがシンプルでよかったです。

– 僕は、仕事をしながら自宅保育をしていたりで、かなりストレスフルな環境だったのですが、割と充実した時間を過ごしていたんですね。

抑圧に関しては、経験があるんです。大学の頃に山で遭難して骨折した事があるんです。手足を骨折して1ヶ月ちょいだったか入院生活をしました。その時何をしてたかと言うと、描き慣れない左手で小さいメモ帳にドローイングをしていました。その落書きみたいなのが習慣化していて、それは何かリアリティがありました。
大学に入るまで、予備校で沢山トレーニングをして、すごいスパンで絵を描いていました。でも、大学に入ってしまうと、外的要因で与えられた絵を描くコンディションってなくなるから、モチベーションが下がるんです。で、山でも登るかと思って無茶もして、結果そうなってしまったんですけど、そこで久しぶりに絵を描くリアリティがあるなぁと感じたのは、その左手で描く不自由な絵だったんです。

– これから先に何かやりたいことはありますか?

尾道の吉和とかでやっているリサーチだったりとか、聞き取りだったりとかに関心があります。話を聞いている対象になっている方達が90前とか80過ぎとかで、あんまり猶予がないなと。一つ吉和で衝撃だったのは、友達の漁師のおばあちゃんが、字が書けなかったりするんですよ。無文字文化で生きてるから、物事を外に記録して、他者と共有したり伝えたりする存在が無いわけです。頭の中に全部入っていて、物語として再生して、音として出していく。僕らは義務教育を受けているから、読み書きが出来て当たり前だし、常識みたいなのを持っていて、それが当たり前のように思っているけど、吉和の漁師さんのおじいちゃんおばあちゃんとか、マレーシアの先住民の人たちと会った時に、自分たちの生きている場所って全然当たり前ではなくて、近代と関係ない、独立した世界の暮らしが何万年も続いていて、自分たちを振り返った時に、そこに何かあるのではと、気になっています。

文化人類学的な場所が変わると、いろいろ動きが違う、カルチャーが違うということの軸と、振り返った時に、どういう事が過去に存在していて、そこにどうやって自分が関わっていくのかっていう歴史の軸とを考えると良いんじゃないというのを言いたい。
僕がすごい好きな建築の、歴史工学というのを提唱している、中谷礼仁っていう人が居て、昔10+1とかの編集をやっていた人ですが、ステートメントの中で「過去は居る」という風に言っています。あったではなく、まさに今居る。居たではなく現在形で過去が在る。これは歴史認識として面白いと思います。

白いキャンバスが一枚あったとして、自由に描けるじゃんって思うけど、ヒトってそんなに自由じゃないよねって思うわけですよ。あらゆる絵画史がバッチリ頭に張り付いてるし、そもそも、木枠にキャンバスを貼るっていう習慣自体が、イタリアのどこかで開発されたのか、織物がどこで発明されたか分からないけど、そういう事物連鎖の辿ってきた、今ここにある状態として受け止めているだけであって、過去のイタリアのベネチア派がキャンバスに油絵を描き始めたっていうことと、思いっきり地続きなわけで無縁ではないのです。それを意識するかしないかで、物の見え方が変わるのかなと思っています。

さっきの、中谷さんが翻訳した、時のかたちという本を断片的に読んでいるんですけど、事物連鎖みたいな話をしていて、美術史を個人のスター的な作家がシーンを作っていくという風に捉えるのではなく、文化史的に集団で継承してきた形として捉える。作家の才能とか固有性を取り去った美術史みたいのでとても面白い。ルネッサンスだったら、ミケランジェロとかダヴィンチがとか、戦後だったら、ジャクソンポロックがとか、印象派だとモネのこの作品がセンセーショナルでという物語として定着されていく。でも誰かがそこに位置したっていう事は、その因子としての空気が醸成されていて、その空気の中で、ボールのパス回しがあって、たまたまゴール前にいて、当たって入ったみたいな。そのゴール決めた人がスター作家ですみたいなストーリーって美術史で取りがちなんです。でも、バックグラウンドの中でその人固有の動きを見たいと思うし、その辺りは興味を持っています。

– バックグラウンド的な話をすると、現在、かなり大きな規模の予算で文化庁からの補助金の話が出ていますが、何か影響があると思いますか?

第二次世界大戦中のルーズベルトのニューディール政策の一環で、アーティストとかグリニッチビレッジに住んでいるような人たち、貧しい人たちに公共事業を与えたんです(*)。お金を出して、壁画を沢山描かせた。それで生き延びたのが、ポロックとかロスコとか、抽象表現主義の人たちでした。民主的なアメリカの政策が美術家に与えた大きな影響だし、戦後アメリカンカルチャーが花開くわけじゃないですか。国力が上がって、プロモーションが強かったというのもあると思いますが、公共のお金の流れがシーンに与える影響もあると思います。

* 連邦美術計画 世界恐慌に端を発した大不況時代における第二期ニューディール政策の一環、かつ最重要政策として、失業者救済にあたった雇用促進局が打ち出した施策がの一つ。


尾道の斜面地に立って、眼下に広がる街並みを眺めていると、過去の上に自分が立っている事を感じる。アトリエで見た、小野氏が描いた重ねられた書籍の断面と、斜面の民家を縫ってずっと続いていく細い路地。それは、折り重なっていく時間とこの世界そのものだと感じた。数年後またこの場所に立ち、眼下の街並みを見たときに何を見ているだろうか。このコロナという、今世界中で最もセンセーショナルなトピックが、その景色にどんな影響を与えているのだろうか。


PROFILE : 小野環

美術作家。1973年北海道生まれ。変わりゆく街や日常の事物の観察をもとに絵画・インスタレーション作品を制作。尾道を拠点に国内外各地で発表。2006年より三上清仁とのユニット「もうひとり」としても活動し、空き家や見放された場所と直接的に関わる制作やワークショップを展開。2007年より尾道山手地区を舞台に、アーティスト・イン・レジデンス「AIR Onomichi」の企画運営を行っている。

https://www.tamakiono.com
https://mouhitori.net

Comment

There is no comment on this post. Be the first one.

Leave a comment