金継ぎと持続可能性

器が割れてしまった時にどうするか。捨てる?接着剤でつける?日本には、昔から割れたり欠けたりした器を漆を使って継ぎ合わせ、その継ぎ目を金粉などで装飾する金継ぎという技法がある。その金継ぎを実践する為に時々アトリエで金継ぎのワークショップを行っている。これが、やたらと時間がかかる。

まず、接合面にやすりがけをして、割れた面同士がつきやすくする。その断面に漆を塗るのだけど、その漆を塗る道具も自作した。欠けた部分を漆で埋める場合、一度にたくさんの漆を使って埋めてしまうと、乾燥する際に漆が縮み、せっかく埋めた部分がもろくなってしまう。なので、少しずつ漆を重ね接合したり埋めたりしていく。漆を塗って、乾燥させる、そして削って整えるという作業を何度か繰り返す。この乾燥させるというのも、漆は湿度が低くなりすぎると乾燥しないので、ある程度湿度を保ちつつ、埃の入らない室(ムロ)という場所で1~2週間放置しなければならない。いちいちやたらと時間と手間がかかる。

そんな折に、仏教経済学、定常経済学の話を聞いた。現在の利益や喜びを最大化させる行為は、将来の利益の先取りにすぎなくて、それが行きすぎると、地球資源を将来の分に渡って食い潰すことになるという話だ。結果それは、未来に負債を残し、長い期間で見た場合の利益と喜びの継続にはならない。例えば、器が割れたとして、多くの場合瞬間接着剤でくっつけるか、もしくは新しい物を買うという選択肢が選ばれる。しかし、その瞬間的に得られる喜びは、未来の利益や資源を食い潰してはいないか。買い換える、瞬間接着剤でつけるというスピードに地球資源の再生スピードは追いつけないのは明白だろう。

しかし、金継ぎの場合、修復にやたらと時間がかかる為に、再度割れた器を使えるという喜びを味わうのは先の事にはなるけれど、その喜びまでに時間がかかるぶん、消費した漆や道具として使った竹には、再生の時間が与えられる。長い将来にわたって利益と喜びを残していく事。本当に古くから伝わる技術というのは良く出来ている。

長い将来にわたって、喜びと利益を還元し続けることの出来る事業とはどういうものなのか。自然を知るというのは、投資活動とも密接に関わっているなと思う。そこに何か、日本独自の資本システムを再構築する為のヒントがあるように思う。

機会があれば、是非「成長神話という煩悩からいかにして金融は解脱すべきか/野崎浩成」も読んでみて欲しい。

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