谷に橋を架ける。

自分自身の過去を振り返ってみて、飽きっぽい性格だなと思う。中学時代に音楽の道を志して、ハードロック、ブルース、ジャズ、現代音楽、クラシックと様々なジャンルを通過して、憧れたアメリカに渡って音大にまで通った。大学時代に音楽以外の芸術にも関わるようになって、写真を学ぶために他の大学に通ったりもした。卒業後は音楽の仕事を2年ほどして、ふとしたことをきっかけに、大阪でギャラリー運営に携わるようになった。しばらくして、妻と一緒に独立して自分達のギャラリーを開いたのは2008年のことだ。今から9年前のことと思うと、随分時間が経ったとも思うけど、まだ、たった9年かとも思う。その後も、移転をし、結局店舗を閉めてからは、特定の場所を定めずに、日本各地そして海外でも音楽のイベントや展覧会を企画する、芸術企画室を運営してきた。その間も、映像(CM/PV/アニメーション)につける音楽のプロデュースをしたり、CDやパッケージのデザインをしたり、文章を寄稿したり、とにかく芸術周辺にあるいろんな事に首を突っ込んでやれることはなんだってやってきた。

本当にいろんなことをやってきたけど、いつも思っていたのは、自分が素晴らしいと感動したこの価値観を多くの人に共感してもらい、広めたいと思っていた。芸術というのは、なかなか不思議な分野の仕事で、もの凄く時間も手間もかかって、正に心血を注いで一つの仕事をやり遂げたとしても、経済的な見返りは全くないなんて事も珍しくはない。だから、芸術に携る者は大抵、生活と自らが志す芸術のバランスを取ることに苦心している。そんな多くの芸術家たちを見ていて、この何年もの間ずっと、どうすれば芸術に興味を持つ人を増やせるかという事を考えていた。今よりももっとクォリティの高いもの、独創的なものを発信し続ければ、芸術に興味を持つ人が増えお客さんも増え、状況は改善されるのではないかと思っていた。しかし、それはあまり意味のない事だとようやく最近気がついた。芸術に興味のある人しか展覧会になんて足を運び続けないし、よほどの音楽好きでない限り、名前も知らない音楽家のコンサートなど行くわけがない。もともと、芸術が好きで音楽を愛する者たちが展覧会に行きコンサートに行く。欧米では少し状況が異なるけど、ここ日本では芸術は日常と切り離されている。特に小さな規模の展覧会やコンサートとなると、その観客もほとんどは自分自身が作る側の芸術家音楽家だと言っても良いぐらいだ。経済的な面から見てこれほど効率の悪い循環はない。生活の苦しいものが生活の苦しいものの芸術のためにお金を払っている。

なぜ、現代においてお金と芸術はこれほどまでに乖離してしまったのか。洞窟に牛の絵を描いていた時代、農作物や肉を貝殻に置き換え交換していた太古まで遡れば、価値を抽象化するものとして、絵も貨幣も割と近しい意味合いを持っていたのではないか。きっと、今の時代でも、この芸術と経済の間にある深い谷に一本の橋を架ける事がでるのではないかと思っている。そう、なぜこんなブログを始めたかというと、その思索と実践の記録をつけておく事は何かしらのやくにたつ日が来るのではと思ったからだ。そしてもう一つ最後に書き加えておくと、2015年の後半ぐらいから、とあることをきっかけに投資を始めた。今後少しずつ詳しく書いていきたいと思っているのだけど、恐らく、僕は芸術からお金を生み出す事よりも、投資からお金を生み出す事の方が才能があると気づいた。まだまだ1年と少しの間の事ではあるけれど、芸術をプロデュースするという事と株式投資をするという事に、何か近しいものがあるようにも感じている。

日々の日記のようなメモのようなものになるかもしれないけれど、興味のある方は時々覗いて見て欲しい。何かしらのヒントになればと思う。

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