ツダモトシ from 神戸

タイトル : I’m here… #06
場所 : 神戸
撮影日 : 9th/Spt./2020
ゲスト : ツダモトシ


想像もしていなかった、コロナ禍で始まった、未来圏での新しいインタビューシリーズ、「I’m here…」。 4月から、5人の音楽家に、オンラインでインタビューを行ってきた。とても暑い夏を過ぎて、今となってはあの緊急事態宣言で自宅に籠もっていた日々が夢の中での出来事だったようにさえ思える。もう、どうしてもアーティストの元へ直接話を聞きに行きたくなった。画家のツダモトシ。神戸にあるアトリエで、何を想い、何を描いていたのか、話を聞いてきた。

ここの中でずっと二人で、朝から夕方になっていく時間をただ享受するっていうかね。街は静かでさ。今まで見えなかった物とか、時間の流れとか、世の中が動いていない中で、違う見方が出来て、その時間が好きだったんだよね。

– 今年のこのコロナの騒動の中でどんな生活をしていただろうか?

6月に東京の吉祥寺でやる予定だった展覧会が延期になってしまった。会いたかった人もいたし、見せたかった人もいたし、本当だったらやれる事も、こんなに出来なくなってしまうのかとショックだった。その前に1月に大阪で展示をやった。コロナのこともまだよく分かってなかったし、「明日のあたしの明るいはなし」というタイトルで、割と楽しげな絵の展示だった。でも、それ以降、急激に世の中が暗くなっていった。ニュースを見るたびに締め付けられるような気持ちになった。

普段はデパートで仕事をしているでしょ。地下一階の売り場の半分ぐらいのお店が閉まっていた。デパート自体は開けていたけど、半分のお店が、従業員を守るためとか、色々な事情はあるんだろうけど、休んでいた。お客さんもまばらにしかいないし、ゴーストタウンみたいな感じだった。それが、明けて、人が戻ってきた時に、人が居るってそれだけで嬉しいものなんだなと思った。

今まで、働いていてあまり長期の休みがなかった。でも、今年は、コロナの影響でゴールデンウィークにデパートが閉まった。それで、5日間だったか、美和(*注1)と外に出ないで、ずっと二人で家に居たんだよ。中華料理屋に行って飯食ってさ、そのあとにお茶飲みに行ってさ、図書館行って、ぶらっと散歩するみたいな、普通にやってた事が全く出来なくなった。ここの中でずっと二人で、朝から夕方になっていく時間をただ享受するっていうかね。街は静かでさ。今まで見えなかった物とか、時間の流れとか、世の中が動いていない中で、違う見方が出来て、その時間が好きだったんだよね。

– その家からあまり出られない間に絵を描いたりしていたのだろうか?

あんまり大きいやつとか、込み入った事は出来ないんだよ。なるべくシンプルに面白いとか、楽しいとか、可愛いとか。単純に、パッと観て、幸せな気持ちになれるみたいなものばかり描いていた。あまり時間もかけないで楽しいのを描いていた。やっと、来年の展示に向けて、こういうの描きたいなとか、大きい作品とか、準備していかないとなっていう気持ちになってきた。3月に京都でも展示をやる予定だし、今年はまずは作ることに専念して、来年アウトプット出来たらなと思っている。

– コロナの騒動で、展覧会が延期になって、それ以降何か心境に変化はあったのだろうか?

僕らも40代になって人生も折り返しに来ている。展覧会を出来るのが普通だと思っていたけど、今まで以上に見せられるチャンスがあるなら、良いものを見せたいなと思っている。でも、コロナがあったからと言って、作るものが変わったことはないと思うし、自分の中の芯がそれで折れてしまったわけでもないし、作る姿勢については変わらない。でも、外的要因として見せるチャンスが無くなってしまう事ってあるんだなと思った。

– ギャラリーや展覧会、アートシーンのこれからの変化について、どう考えているだろうか?

作るっていう事とお金はちょっと違う次元かなと思う。お金を得るという事で言えば、展覧会に足を運べないとか、発表する場所がないというのは、とっても重要な事だよね。それだったら、オンラインで展覧会をしようかとか、色々あると思う。でも、僕は、絵をお金に還元して、毎日ご飯を頂いているという身ではない。それが自分にとって必要だから、描いている。だから、絵を描くという事では、あまり変わりはない。どんな時代でも、美術が必要ないという事はないでしょ。今は、見れないし、そういう余裕もないかもしれない。だけど、求めない訳じゃないよね。作る人はずっと作るし、それを心の支えにしてる人もいる。だから、今は静かに作っている。

僕の個人的な意見だけど、オンラインで展示を観るという試みには、あまり心を惹かれないなと思っている。この間も、美和と展覧会を観に行ったんだけど、実際に会場に行って、目の前に物があるっていう迫力とか、距離感とか、行くまでのワクワク感とか、いろいろな物があるよね。それってやっぱり僕らの楽しみにしてる事の一つなんだよ。ちょうど、神戸の花火大会がなくなっちゃったからさ。最近群像みたいなのをよく描いていて、人がいっぱいいてわさわさしてるみたいな。これ描いてると、皆がこちょこちょしてて、面白いんだよ。ソーシャルディスタンスとか、三密とか、そう言う言葉がギャグに変わって絵に出来るようになると良いな。鉛筆削って、紙を用意して、実体だけで作ってる訳でしょ。このガサガサして出来たものを、やっぱり生で観てもらって、ゴーンの話(*注2)もしていきたいしさ。自分の気持ちも語った上で良かったら買ってくれって言いたいしさ。

この間テレビを見てたら、「美術作品は未来を写す。」みたいな事を言っていて、そうだよなと思った。普通の繋がり方じゃないところで繋がるツールを持っていて、未来を写して描いているっていう。美術とか音楽とか、演劇とかでも、ただの現象だけを晒してるだけだったら何も面白くなくて、そこにはちょっとしたマジックがなくちゃいけない。突拍子もない繋がりかたとか。シンクロの仕方とかさ。そういうのがある作品に対して、驚いたりとか、感動したりすると思う。ただ絵がうまいとか、技術が凄いとか、そういうことでは、人はそんなに動かないんじゃないかなと思ってる。

昔、まだ20代の頃だったと思うんだけど、小田原あたりで中央線に乗ってた時、ある本を読んでたら大磯っていう海辺の街の話が出て来てて、パッと本から目をそらしたら、そこが大磯だった。全く誰にも利益はないし、何が面白いのかも分かんないけど、面白いなと思った。僕にとってはずっと覚えているような出来事だった。そう言う事なんじゃないかなと思った。

表面的な行動とかは変わるかもしれない。ユザワヤが閉まってるから絵の具が買えなくて、オンラインショップで買うとかさ。画材もちょっとしたら変わっちゃうかもしれないけど。

*注1 展覧会でも度々共作を行っている、パートナーでもある大柳美和
*注2 NISSAN GONE IS GONE という言葉遊びから生まれた作品の事


インタビューを終えて、神戸の街を一緒に歩いた。アトリエのあるマンションの裏手から、六甲山の麓を流れる小さな川沿いに歩くと、そこは僕が全く知らない、神戸の街だった。人は、今自分が見ている景色が世界の全てだと、自分の知っている事が世界の全てだと、つい思い込んでしまう。ほんの少し想像力を働かせれば、それが真実でない事はすぐに分かる。コロナの前の世界、コロナの後の世界。世界は本当に突然姿を変えてしまったのだろうか。彼が少し恥ずかしそうに見せてくれた、小さなスケッチブックの絵を思い出しながら、細い路地を通り過ぎた。


PROFILE : ツダモトシ

1978年神奈川県生まれ。東京農業大学卒業。20代の後半から本格的に絵を描き始める。筆の動きの中から無意識に生まれる様々な線や形、色彩を捉えて描かれる、異国の神話の様な世界観が特徴。多くの個展、グループ展で作品を発表。

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